えんばと、という言葉がありますが実は筆者は
一度も用いた事がないのです。
がしかし複数飛騨方言サイトから同語の紹介があり、
またネット検索では、出雲・いずも、京都、丹波篠山・たんばささやま、等からの
方言情報の発信があるものですから、やはり飛騨地方のみならず広域の
方言、つまりは古語に由来する言い回し、と
考えざるを得ません。
肝腎の意味ですが、これがやや複雑です。
飛騨方言においては、江戸時代の書物
飛騨遺乗合府に、
さいわいにも、という意味の副詞句との記載があります。
飛騨では、江戸時代にはそのような意味で用いられていたのでしょう。
現代語飛騨方言では、上記ネット情報になりますが、
良いタイミングで・もうじき・もうすぐ、等々の意味として
紹介されていますので、その意味は江戸時代からあまりずれていない、
という事が判ります。
さて問題なのが、出雲、京都、丹波篠山、のネット方言情報です。
三者に共通してその意味がなんと、悪いタイミングで・運悪く。
つまり、飛騨方言と全く正反対の意味なのです。
当サイトの目的のひとつは飛騨方言の語源を探る、という
事なので、京都と飛騨では意味が正反対となると正直な所、
困ってしまうのですが、片方の意味で語源がうまく説明
できれば、正反対の意味は長い言葉の歴史の中で遂に
意味が逆転してしまったのであろう、と考えれば説明可能
ですね。
お忙しい読者の方のために結論ですが、
筆者はこの言葉の語源は、よい塩梅と、の訛りと考えます。
成立した時期は中世でしょう。しかも元々は京都の言葉、
中央の言葉です。これが飛騨と出雲に伝わり現代も
方言として生きているのです。
正に柳田國男の方言周圏論です。
ただし、飛騨では意味がそのまま現代に語りつがれ、
京都では意味が逆転したのでは、というのが筆者の推論です。
出雲でも意味が逆転したのか、あるいは京都で逆転した意味の
言葉が伝播した可能性もありましょう。
えんばとの語源は、よい塩梅と。これは信じていただくしか
ありませんが、飛騨方言では、よいのです、という意味で、
えんじゃ、などと言いますね。また、飛騨方言では、
わざと、という意味で、やくと、といいます。
宇治拾遺物語にでてくる13世紀前半の言葉です。
ですから、えん+何かが省略されて・ば・になった言葉+と、
が、えんばと、の語源であろう、と考えると、良いあんばいと、
に至るのです。
音韻学的には連母音融合・短縮、という理屈で
ドンピシャリと説明が可能です。
コロンブスの卵と同じで、知ってしまえば、なあんだあそうかあ、
という事なのですが、思いつく事は結構大変なのよ。
何せ、ぶつぶつと何十分も唱えてみないといけないのですから。
つまり、あほくさ、と思ったらお仕舞いです。
がしかし発見した時の感激って凄いものなんですよ。
だからやめられない。
各種語源辞典によれば、古語・あんばい、は中世に発生した
言葉である事も判っています。
つまり京都では長い間に意味が逆転したのであろう、という
筆者の推論ともピタリあいます。めでたし。
佐七の告白 これだけ状況証拠が整っていながら、
どうしてもひっかかる点があるのですよねえ。
つまり、えんばとは古語辞典に記載が無い。これは不自然です。これだけは、
正直申しますと、佐七は心苦しい。しゃみしゃっきり。
|