大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

まんま・飛騨方言

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ご飯の事をまんまと言いますが、 あるいは国語辞典には(幼児語)と記載してあります。 まんまの語源について記載されたネット情報は 見受けられないのですが、 各地の方言としてのネット発信は若干見受けられます。 面白いのは、ままけ、つまり、飯を食え、 というつまった言い方、東北地方の方言です。 ブログ情報が幾つかあり、わが子が、まんま、と発語した という育児日記もありました。 知識の受け渡しになりますが、 母親の事を中国語、英語でもママ(mama)、といいますし、 またラテン語で乳房の事をマンマ(Mamma)といいます。

以上が前置きで、やはり、飛騨方言においても、 語源は喃語(なんご)ではないかと推察します。 私事で恐縮ですが不思議に覚えがあるのが、 長女が初めて文章というもの発した瞬間です。 若夫婦と長女三人のある日の夕飯でした。 それまでは、ばあばあ、ぶうぶうというような 所謂、喃語しか話さなかった娘でしたが、 突然に、ご飯をさして、まんま・まんま、を 繰り返すのです。お腹がすいているのでご飯を食べたい、 という意思表示である事は明らかでした。

思わず目と目が合いにんやりする私ども夫婦、 ついでだからエイもう一単語教えようという話になりました。 家内が、まんまほしい?と聞くと、まんまほひい、 と答えるではありませんか。 ほしい、という言葉が用言である事、 上がり調子で発声すると疑問文になる事、 下がり調子で発声すると主張文になる事、 赤ん坊の身ではほしいとは発語しにくい事、 等々を娘は理解して私どもに教えてくれたようです。 記念すべき心の育児日記です。

さて私はお袋の事を、もっぱらかあちゃんと呼んで来ましたが、 家内は自身の母親をママと呼びます。 暫くは娘の言葉の混乱を避けるためママは使用しないでおこうと 夫婦で決めたような決めなかったような。

蛇足ですが、ご飯は古語では、 いひ(イイ、飯、家にあれば笥(ケ、食器)に盛るいひを〜万2 142) といいますが、いい、をご飯の意味で使用するネット情報は 皆無に近いようです。 またどうしても長野県飯田市の方言情報が ヒットしてしまうのですが、 同市では、ごはんをいいとは言わないようです。 飯田市民にして然り、まんまは言いやすく、 いいはいひにくい。しゃみしゃっきり。

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