大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

なお残る飛騨方言・てきない、の成立の謎

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体がえらい、疲れる、病気らしいという意味の 飛騨方言・てきない の語源は、たいぎ(大儀)なり、です。 広辞苑には"江戸時代、中間、小者で話されていた言葉である"という の記載があります。 目上の者が目下に対して骨折りをいたわりねぎらうために 用いた言葉、かたじけないご苦労であるぞ、という意味です。 それがいつのまにやら目下の中間、小者らがご主人様の言葉を拝借して 自分達でお互いにご苦労様です、と言い出したというわけです。

それにしても筆者は考え込んでしまいます。 江戸時代に飛騨は天領でした。 現存する日本唯一の代官所・陣屋 に勤務する武士人口は飛騨の総人口のほんの数パーセントであり、 さらに少ない使用人達の言葉がなぜ広大な飛騨全土に広まったのでしょう。

もっとも方言の平均伝播速度は年速1kmですから 代金所・陣屋から飛騨の端までは 数十年で到達する事になります。 あっというまに広まったと考えられなくもないですね。

小生が謎と考えることはむしろ以下に述べる点です。 代官所の中間、小者が、てきない、という場合は ご主人の人使いが荒いという単なる愚痴言葉、ぼやき言葉です。 がしかし、飛騨方言を話す大多数は言うまでもなく百姓です。 小作人が庄屋に対して愚痴言葉、ぼやき言葉として話すようになった という事でしょうか。

否、むしろ身体がえらい、病気のようだ、という意味の 飛騨方言です。それに中間、小者には主人がいますが 自作農の百姓には主人はいません。 賢明な読者はすでにお気づきですね。 つまり異なった社会階級で言葉が使われるようになった時点で 言葉もおのずから意味が異なってきたという事なのですよ、実は。

それにしても表題に戻って、どうして百姓が中間、小者の言葉を使い始めたのかという 謎ですが、私にはその気持ちがよくわかります。 謎でもなんでもありません、 つまり、てきない、が百姓にとっては、いなせな言葉だったんですわい。 一種の流行です。 このように飛騨全土に広がった後に、やがて病気の事を示すようになったのでしょう。 しゃみしゃっきり。

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