大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

文末詞の意味分析「あれこーわいさ」

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私:文末詞問題としては、ただ単に終助詞「さ」を付加するだけの話だけだが、飛騨方言「こわいさ」は「大変に恐縮します」という意味。実例として以下の動画があったが。

君:わかるわよ、あまたのおっしゃりたい事は。
私:結論を。つまりは、このナレーションは飛騨方言ではない。アクセントはあっているが、イントネーションがいまひとつ。会話に脈絡が無く、そもそもが会話文として成立していない。
君:つまりはネイティブがお話しくださらないと本物の方言とは言えない、という事ね。
私:その通り。お二人はプロの声優で、つまりはお声は素晴らしい。ただし二人は飛騨のご出身ではない。原稿をただ単に読み上げておられるだけ。内容のご理解もいまひとつ、という感じだ。
君:そういう事は、裏でこそこそと記事を得くのではなく、堂々とコメントなさったらいいのよ。
私:正論だ。だが、僕にはその勇気が無い。最大の欠点は会話に脈絡が無いという事。会話文として成立していない事。
君:たかが「さ」、されど「さ」という事ね。タイトルからすれば各種の意味合いがある、という事ね。
私:うん。例えば、
そりゃそやさ・・その通りですよ。当然です。これ以上の議論はいりませんね。
そのうち、ええこともあるさ・・良い事があるだろうから、くよくよ悩まないでおきましょう。
おりゃだめな男やさ・・僕は駄目な男で決まり。あきらめてくれ。
こわいさ・・恐縮します。恐れ多いです。
いくさ・・行きますとも。待っててね。
いかんさ・・行きたくない。遠慮します。
君:でも「念押し」のような意味合いとしては共通の意味「さ」じゃないかしら。
私:まあね。でもちょっと待ってくれ。承認欲求、励まし、懇願、感謝などの意味合いだからバラバラの意味合いとも考えられる。
君:ほほほ、何にでも使える「さ」。つまりは複雑な気持ち。
私:そうだね。だから方言文学というジャンルもあるが。うかつに解釈はできない、という事だ。おらおらでひとりいぐも
君:going my way なんて思ったのでしょ。貴方の事だから。
私:方言は口語文化だから、やはり活字文学にはできないな。冒頭の動画だが、滑舌に自信のあるお二人が、ただ単に活字を棒読みしておられるだけ。
君:イントネーションは?
私:「さ」が上がり調子だと、例えば、「試験に受かったんやさ」の場合、「試験に受かったので、盛大にお祝いしてね」の意味。
君:「さ」が下がり調子だと、どうなるのかしら。
私:例えば、「試験に落ちたんやさ」の場合、「試験に落ちたので、ほっていてくれ」の意味。
君:屁理屈だわよ。イントネーションのパターンは無限よ。アクセントと違って。
私:その通り。アクセントはオンオフだ。イントネーションは波形だ。アクセントはビット情報、イントネーションはフーリエ解析の対象。
君:もっとわかりやすい例は?
私:「動かないでよ」、これが上がり調子のイントネーションだと、「さあ今から写真を撮りますから、動かないでくださいね」。
君:ほほほ、そして下がり調子なら、「あらあら、折角の写真が台無しだわ。撮りなおすから動かないでね」という事ね。
私:そう。上がり調子は「今から撮るから動くな」の意味で、下がり調子は「動いてしまった事はいけませんね」の意味。
君:まあ、瞬時に判断出来る事だけれど。
私:「動かないでよ。(パチリ)動かないでよ。」これを棒読みしたらどうなる。
君:会話の脈絡もなにもあったものじゃないわね。
私:だから方言を活字にすると意味が台無しになるんだ。今日の結論。
君:あら、「うごかないでよ」は共通語。文末詞「さ」も共通語よ。ほほほ
私:あっ、そうか。方言に関わらず、会話を活字にする事は意味を台無しにする可能性がある、という事だね。
君:会話文の前部分に心理描写、状況説明を書いて、読者の心に会話文を響かせればいいのよ。ほほほ

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