大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

新しい東西対立

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私:方言の東西対立というと、学問的には明治のドタバタ、即ち
1900 小学校令施行規則で字音仮名遣の表音式化を決定
1902 国語調査委員会設置
1903 文部省国語調査委員会が音韻と口語法について全国調査
1904 第一期国定教科書(イエスシ読本、椅子・枝・雀・石)使用開始
1904 東西語法境界線概略(新村出)
1905 音韻調査報告書・付音調分布図
1906 口語法調査報告書・口語法分布図、親不知と浜名湖を結ぶ日本方言の東西分割線の発見
辺りを言うのだが。
君:これは伝統方言、つまりは近世語として日本にどのような東西対立があったのか、という事の発見ね。
私:その通り。実は明治の文明開化、止めどもなく輸入される異文化、これらはとりあえず片仮名表記で、という事だが、不思議な事にれらのものの一部に於いても東西対立現象が生じてしまった。まことに東西対立というものは業が深いようだね。
君:具体例をお願いね。
私:うん。
東京対大阪だが、
ワイシャツ・カッターシャツ
画鋲ガビョー・押しピン
学区ガック・校区コーク校下コーカ
メンチカツ・ミンチカツ

君:これら全て、江戸時代にはなかった事象ね。ほほほ
私:これらは文明開化でドーンと全国に広まったが、要は東京・大阪という二大文化圏で独自の言葉になったという事だ。しかしながら、明治政府以来、標準語は東京語と定まったものだから飛騨地方というか、中部地方は概ね東京文化圏と考えてよさそうだね。ただし、飛騨では画鋲の事を「がばり」と言う。俚言じゃないかな。このような近代語、外来語は実は小学館・日本方言大辞典全三巻には記載が皆無に近いので、僕としてはおてあげ。最近の例としては大阪ではマクドナルドハンバーガー店の事をマクドというらしい。東京と飛騨ではマックだね。また名古屋で有名なのがご当地限定ビール「キリンでらうま」。尾張方言「どえらいうまい(とてもおいしい)」からきた言葉。
君:ご当地ものには方言の名前がいいわね。しかも平仮名で。
私:ガバリが画鋲である事位は全国の皆様は聞いた瞬間にお判りいただけるだろう。押しピンについても言わずもがな。方言は小ネタに役立つので、この手の本を探しているのだが、無いね。ましてや辞書は。
君:あなたは飛騨方言の死語漁り、つまりは上古から近世の飛騨方言の研究をなさったほうが性に合っているわよ。手元に伝統方言資料も古語辞典もそろっているのだし。現代文化の解釈は若い方にまかせて、現代人の誰もが知ろうとしない飛騨方言の歴史をお調べになったらいいのよ。
私:言葉は鉄道に乗ってやってくる。高山線の開通前の話だね。高山市民は丸一日かけて中津川まで歩き、そこで中央線に乗って東京を目指した。東北の人にとっての上野駅、という感じで、飛騨の人にとっては新宿だったのだ。
君:そうそう、そういう話も。ほほほ

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