大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 方言学<

みえる自ラ下一、に関する飛騨人と東京人の意識差

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表題ですが、東海方言の代表者たる飛騨人、という事でご登場願いました。飛騨人を名古屋人に置き換えてもかまわないでしょう。さて、当方言学考のコーナーに既に別稿にて記載の通りですが、みえる尊敬表現は東海地地方の人間にとっては当たり前の言い方ですが、東京の方々にとっては少し抵抗があるようです。まずは例題と参りましょう。来る、の意味です。
まだどなたもみえません。
先方様がみえました。
このような言い回しは共通語そのものであり、東京であれ、名古屋であれ、来るの尊敬表現である事には変わりません。実は古語動詞・みゆ・自ラ下二、の意味そのものです。ただし、東京では、みえる、の他の意味との混同を嫌って、先方様がおみえです、という事が多いのではないでしょうか。

実は明治の国語辞典・言海には、おみえ、は出てきません。筆者の推論ですが、東京では明治・大正あたりに既に、みえます、という尊敬表現の言葉の値打ちが下がり(「敬意逓減の法則」)、更に敬意をこめた表現、つまりは体言・おみえ、が使われるようになったのでしょうね。おみえです・おみえでした・おみえでしょう、等々テンスも使い分けられ、しかも、みえるの他の意味との混同も無い、偉大なる発明という事だったのでしょう。

次いで、居る・おる、の意味の尊敬表現・みえる、の例題です。
どなたかみえますか?
これも、東京・名古屋・飛騨ともに用いられ、共通語でしょう。ただし、東京では更に丁寧な言い回し、どなたかおみえですか、がより好ましい言葉遣いという事になるのでしょう。

締めくくりは、みえる、を複合動詞の後項動詞とする場合です。
先方様が来てみえます。
先方様が見てみえました。
こうなりますと、最早、東海地方に特有な言い回し、名古屋・飛騨の共通方言と言うしかありません。名古屋で発明されて飛騨に伝播したのでしょう。それは国鉄高山線が運んだ言葉だったのでしょう。この表現は、東京では、
先方様が来ていらっしゃいます。
先方様が見ておられました。
等と言うべきなのでしょうね。

考察ですが、話は簡単です。東京は明らかに名古屋に比し都会なのです。偉大なる田舎・名古屋と飛騨は古い敬語表現が残り、敬語体系は簡単であり、東京の敬語体系は進化し、より複雑になっている、という事なのでしょう。東京から名古屋を眺めると、尊敬が足らない・尊敬になっていない、という事になるのでしょうね。

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