大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨方言と富山方言

こんともない(みっともない)

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私:飛騨方言にコットモナイがある。見苦しい、醜い、嫌な、の意味。例文としては、こっともない服装、とかね。
君:表題との関係は?
私:先ほど知ったのだが、飛騨方言コントモナイはコットモナイの同意語。そして前者は飛騨・富山共通方言である事も先ほど確認した。
君:確認した内容は?
私:手元に富山県資料がほとんどないのが現状だが、同語のネット検索で幾らも出てくる。つまりは令和の時代の富山の現代方言。そして、これが肝、手元の書、荒垣秀雄著・北飛騨の方言、には両語が出てくる。同書は飛騨市(旧吉城郡)神岡町船津の伝統方言を記載したもの。船津は富山へ数十キロの近く、つまりは神通川の上流。船津・富山は言語圏としては極めて近い。
君:勿体ぶらずに全国の皆様に簡単にひと言で説明してね。
私:はいはい、飛騨・富山共通方言コントモナイだが、富山から飛騨へ神通川沿い乃至JR高山線沿いに言葉が遡上したのだろうね。そして飛騨全体に広まるのだが、その過程においてコントモナイからコットモナイへの音韻変化が生じた。これ以外の合理的な説明は有り得ないだろう。

君:自信過剰ね。
私:つまりは以上の真逆の仮説と言えば、飛騨でコットモナイからコントモナイに音韻変化し、船津の田舎から富山という都会へコントモナイが伝搬したのでは、というのはおおよそ考えられないストーリーでしょう。
君:それは確かにそうね。要は方言周圏論ね。
私:そう、言葉は文化圏の中心から周辺へ広まる。大原則。
君:でも飛騨の中心は高山市。船津は飛騨の北の端だわよ。
私:それを言われると辛いが富山藩と天領飛騨を考えると前者が上だろう。それに僕は飛騨の人々のユーモアを感じてしまうんだ。
君:コントモナイからコットモナイへの音韻変化の事ね。
私:多分、・・・みっともないという音韻に釣られてしまったのかも。蛇足ですが、みっともない、は、みたくもない、の促音便です。多分
君:語源を発見したぞ、とでも言いたいのね。
私:いいえ、違います。単なる思い付きです。断片資料しかないので、結論は闇の中。蛇足ながら荒垣氏は旧制斐太中、つまり僕らの大先輩、そして彼は蜩c國男が朝日新聞の論説主幹でいらっしゃった時の同社の駆け出し記者だった。両氏にこの原稿をお読みいただきたい気持ちだ。
君:わかっているわよ。飛騨人の心は飛騨人にしかわからない。左七が飛騨人の心が判らなくてどうする、という事よね。ほほほ

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