タイトルですが明治時代には飛騨の民はランプ生活で、
というような、つまりは表題を見ただけで内容が既に
分かってしまう極めてつまらないお話かな、
と思われた方は、ハイさようなら。
ランプ生活の話ではありません。
なんと二十一世紀の現代に未だに電化されていない話です。
さて観光飛騨を訪れる外国人がとうとう
年間八万人を突破したとか、
新聞記事で知った私はあわてて
一夜城のザ飛騨弁フォーラムの国際版を作成しましたが、
大した内容が有るわけでなし、クリックした外人さんは
未だにゼロでしょうね、十年後を請うご期待。
さて国内旅行者はその十倍以上でしょう。
またそれらの方々の大半は始発駅が名古屋、
高山線のプラットフォームでしょう。
高山行きの特急に実はパンタグラフが無い事に
お気づきの方が何人お見えでしょうか。
実はドイツ製のジーゼル車なのです。
JR高山線は未だに電化されていないのです。
ジーゼル車だからまだましです。その昔は全て
蒸気機関車でした。小生が中学二年生(1967)だったかな、
たしか秋の写生大会で国鉄高山線久々野駅で
停車している蒸気機関車を無心に写生したのを
覚えています。そしていよいよ佐七節ですが。
私が写生のスポットに国鉄駅を選んだのは
やはり文明というものを感じたからですね、
笑いなさんなって。しかも私が写生した蒸気機関車は
じいっと停車しつつも、モクモクと煙を吐いていたのです。
小一時間もするとデッサンは終了、後は色づけするだけか、
という感じで時間の余裕が出来てきます。
叱られはしないだろうね、と言う事で恐る恐るその蒸気機関車
に近づいてみたのです。
案の定、機関手さんがいました。会話が出来ました。
またこれが粋な取り計らい、彼いわく、見たいだろう乗れ乗れと。
えっいいんですか、いやあ感激します、一生懸命写生していた
甲斐がありました、では遠慮なく拝見させていただきます、
と言う事で私はその機関車の運転席に乗り込んだのです。
これが何々をするバルブ、等々の細かい説明は忘れましたが、
折角だから石炭をくべる体験をしてもいいよ、といわれ、
スコップで石炭庫の石炭を少しすくい、ボイラーの手前に
有る床のスイッチを足で踏むと、ボイラーの
入り口の蓋ですが、これはちょうど天道虫が羽をすぼめているのが
飛ぶ時に硬い甲羅をパカッと開けるに似た様相で蓋が開くのです。
中は灼熱の炎が、急ぎ石炭を放り込みすぐに蓋をしました。
すみません、以上が前置きです。このように実は
つい四十年前までは国鉄高山線は蒸気機関車が活躍していたのです。
そして乗客にとって一番の問題がトンネルです。
宮トンネルという分水嶺をまたぐトンネルですが、
これがまた何とも早、長いトンネルで。
トンネルに入ると瞬時に車内に明かりが燈りますが、
それは良いとして暫くすると、きな臭い煙が車内に
満ちて来るのです。わずかに満ちる程度ならそれも良し、
ところが相当に充満してきて一瞬、火災の発生かと
心配になる事すらあるのです、何せ車内が煙で視界
不良となるのですから。
そしてやっと本題、今の時代、たとえ電化は
されていなくてもジーゼル車の旅は快適そのものです。
それでもこの事実にお気づきください。
昭和九年全線開通から今日に至るまで
実は高山線のトンネルの数も長さも一切変わって
いませんが、その昔といってもたった四十年前ですが、
高山線ではトンネル通過中は皆がハンカチで口・鼻を
押さえ、車内の楽しい語らいを少しやめて、数を数えながら、
また豪の者は息こらえゲームに挑戦していた事を
ご想像ください。
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