大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 泣けてまう言葉

からすばり

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京都の二条城、知恩院のうぐいす張り廊下の事なら 皆様、どなたも良くご存知でしょう。 廊下を歩く時のうぐいすの鳴く様なきしみの音を言うのです。

飛騨における、からすばり、とは。 そして何故また、泣けてまう(=てしまう)言葉なのでしょうか。 うぐいすのように鳴けてまう言葉ではないのです。 お忙しい読者の方の為に、実はかつて木造校舎であった 県立斐太高校の安普請の廊下を誰言うとなく、 悲しき中にもユーモアあり、うぐいす張りに なぞらえた自嘲の言葉でした。

昭和の話、戦後の話です。 実は斐太高校と高山高校、高山市内にある 二つの県立高校が連続放火にあうという忌まわしい事件があった のです。 一番困ってしまったのが岐阜県知事さんでした。 貧乏県なのでいくらなんでも二校を新築するのに 予算が工面できず。 窮余の策が、とにかく何でもいい、雨漏りさえしなければ よい、安普請の木造プレハブ校舎の二つの高校を 作れ、と言う事で出来た校舎だったのです。

つまりは、今は昔の話、斐太高校と高山高校、まさに バラック作りの二階建て。 実は筆者の大西村は久々野町に属しますが、 当時は生徒数もゲエッとするほど多く、 鉄筋三階建てだったのです。 つまりは久々野中から斐太高校に進学した人達は 鉄筋三階建て中学から木造二階建て高校に進学したといういう訳です。 なんともはや、泣けてまうながいな。

ただ今、斐太高校のホームページ をみたら、なんとピカピカの鉄筋四階建て。 年寄りの方で斐太高校の卒業生の方でこの画像を ご覧になる方は、思わずおっしゃるかも。
なんじゃ、こりゃ??!! こんなもなあ、斐太高校でねえぞ。 やっぱなあ、斐太高校なら木造二階建ての からすばりなんやさあ。
なんとなく、佐七にはわかるその気持ち。 あの時は泣けたが、今はしびれる言葉、からすばり。 ところがウエブサイト画像を見て、 からすばり廊下がいつの間にか無くなってしまった事に 気付き、かえって泣けてまうご年配も多いのではないでしょうか。 今も昔もやはり泣けてまう既に幻のからすばり廊下。ふふふ。

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