2006/10/26
実は私自身、俚言の語源という事に一番の興味があり、
と申しますかあれこれ調べますと先人が記載された飛騨方言の文法について少しは
概略が見えて参ります。そしてそれは主として明治時代の語り部・インフォーマントの
情報を元に書かれたものであったり、また岐阜大学には教育学部国語学科があります、
そこの学生さんのフィールドワークの賜物でしょう、膨大な資料の統計があり、また
白川郷という辺境は阪大文学部が何度も殴りこみをして業績を出しておられます。
しかしやはり表層といえば言いすぎでしょうか。
どうにもこうにも語源を知りたい私の知識欲を満たしてくれる文献がないようなのです。
くどいようですが私の興味は俚言の語源です。
ですから私は先人のご業績を補間したいのです。
それでも・・自分が分からなくて誰がわかる、という気概だけは立派で
あれこれ思考してきましたが、私がやった事といえばただ
仕事の合間、暇な時間にひたすら考えていただけ、要は単なる思い付きです。
有難い事に民俗学という学問は、古典・言語学とは異なり、
例え古文献はどうであれ、文献にないものにこそ真実がある事も
あろうし、古文献などというものはだいたいは時の為政者が
都合のいいように書いているものが多く、つじつまがあわなくて
当たり前、まずは嘘が書いてあるのかもと疑う事からスタート
しなくてはいけない、と有る方から教わりました。
但し悲しいかな古文献しか無い、皆がそれを面白く読む、
やがてそれは定説といわれる、そして
うそも百回聞かされると真実に思えて来る。
私の説が正しいかは、私自身が実はわからない。
私はただ仮説を述べるだけ。それでも私の事が
飛騨で噂になると仮説は定説となり、やがて百回聞かされた
定説は真実に近いと皆様が信じてくださるのでしょうか。
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