不肖佐七辞書にためらうを
記載した通りですが、体に気をつける、という意味ですね。
別稿・同音異義語の飛騨方言事件・ためらう
などもご参考までにどうぞ。
飛騨人がしびれてしまう理由とは、言われて決して悪い気はしない、
聞かされてとてもうれしくなる言葉だからでしょう。
ですから言っても損はしない言葉ですから、
どなたも気軽に使ってよい言葉なのですが、
この言葉の用法にたったひとつ、ルール、所謂、言葉の美学が
あるのですね。お別れの時の最後の一言、というわけです。
会話の中で決して乱発してはいけません。例えば同窓会の語らいなどは
いつまでも名残が尽きないのですが、花子さんが佐七に最後に、
・・そやけど、インターネットみるとあんたいっつも
ホームページばっかりやっとって。寝とらんのやろ。
わかっとるんやで。ためらわんにゃだしかんよ。そしゃなあ。
などと言われますと、佐七はじいーんときて、
ありがとなあ、わかる?そしゃちゃんと寝るさ。そしゃなあ、わりも
ためらえよ。
となるのですね。
この飛騨方言の用法は、飛騨以外の方にも好意的に
とらえられており、
"いろどり無限本舗 : "都合が悪い"という熊本の方言"
で触れておみえです。
"私が知る範囲ですが、天草の言葉、飛騨地方の言葉そして奥美濃地方の
言葉は音も含めて優しく感じます。"
という過分なお言葉をいただきました。
ためらう、をさりげなく使えると大人の会話と言う事に
なります。子供は決して使いません。
恥ずかしいのです。別項・言葉の元服
もご参考までに。
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