大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
かたに(=全然)2 |
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私:前日に副詞句「かたに(=全然)」を紹介した。古語にある。近世語の「かたで・かたから」。アクセント学的な候補としては片、方、形、型で決まりともお書きした。結論から書きたいが、語源は「片端から」じゃないかな。単なる思い付きだが。 君:いくら思い付きでも論拠を示さなきゃ。 私:うん。まずは名詞・かたはし片端だが、物の一端、物事の手掛かりとなる僅かな部分という意味で、文例は宇治拾遺、宇津保、栄花、方丈記。中世語から現代語に至るまで意味は変化していない。日葡辞書には Catafaxi があり、安土時代の畿内の庶民の言葉だった。「片端から」は、一つの端から始まって全て、と言う意味で、つまりは、悉く・すっかり・全部、という意味で、これも今も昔も変わらない。そして、ここがミソ、中世あるいは近世の畿内方言では「はし」の音韻が脱落して、「かたから」という副詞句が生まれたのではなかろうか。文例は忠盛祇園桜(江戸中期、八文字屋八佐衛門)等。例えば「かたからのめず」と言えば、ほんのちょっと酒杯に唇を添える事もできない・(つまりは)全然飲めない、という意味になると思うのだけれど。 君:なるほど、それで、もう一方の古語「かたで」はどう説明するの。 私:これは近世語の最大の特徴、東西対立、つまりは上方語と江戸語の対立からきたのじゃないかな。全国の順接確定表現に関する一考察をご参考までに。 君:つまりは難波で「かたから」、江戸で「かたで」、という東西対立があったのでは、という推論ね。今じゃ大阪が「さかい」で、東京が「から」なのよね。 私:そう。推論と言えば響きはいいが、単なる思い付き。 君:ほほほ、思いつき次いでに、飛騨方言「かたに」はどうやって説明するの。 私:飛騨方言は「かたから」から進化した関西系の言葉だと考えたい。かたから -> かたからに -> かたに、の音韻変化。 君:江戸時代に飛騨は天領での影響を受けたのよ。これはどう説明するの。 私:安土時代に既に飛騨に「かたから」が伝搬していたのじゃないか。距離からすると飛騨・江戸より飛騨・京都の方が圧倒的に短い。 君:うーん、仮説が多すぎるし、文献の裏付けがないし、やはり単なる思い付きね。ほほほ |
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