大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨の歌 |
奥飛騨慕情・藤圭子、初音ミク、緑咲香澄 |
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私の生まれは1953で、小学生時代から大学時代に至るまでビートルズが現役の時代だったので、強烈に感化を受けたのでした。最も感化を受けたのが中学生時代で、歌詞がほぼ聴き分けられ英語のリスニング道場といった感じでした。1978年に社会人になってからはせっせとレコードを買い集め、なんとか全てを収集する事が出来ました。つまりは学生時代までは好きなのは英語ポップスが主で、演歌は趣味では無かったのですが、今既に67歳、流石にこの歳になると思う事は、やはり私は日本人・演歌もいいね。 先ほどはネット検索にて作詞・作曲の竜鉄也氏が岐阜県吉城郡上宝村の出身と知り、初めて納得、奥飛騨とは上宝・神岡辺り、つまりは高原川流域の事ですから、幼い日の原風景を思い浮かべて、曲をお作りになったという事なのでした。 雪深い奥飛騨にマッチする歌ですから、季節は冬、そして歌詞は「奥飛騨に雪が降る」でいいのではと思ってしまいますが、実際には「雨が降る」です。ですから季節は春雨、梅雨、夏の夕立、秋雨、の何れかという事で、決して暖冬の事をお歌いになったのではありません。 盲目の竜鉄也氏ですから感ずる事が出来るのは皮膚の感覚と音です。雨音はパラパラであれシトシトであれ、木々の葉を打つ音で「ああ、雨だ」とわかる事と、シンシンと雪が降り積もっても寒くて皮膚感覚が低下しますし、ましてや厚着あるいは手袋という事で、人は雪が降る皮膚感覚を感ずる事は出来ません。雨の場合、手に冷たさ、濡れた感覚ですぐにわかり、ですから「雨が降る」という歌詞になったという事なのでしょう。 「奥飛騨慕情」は多くの歌手によってカバーされていますが、藤圭子さんの歌が別格に感じます。初音ミク、緑咲香澄の両者はコンビュータで作成された人工の音源です。緑咲香澄嬢のほうが大人びた声になっていますので、個人的には彼女の歌により魅力を感じます。感情の起伏なく淡々と歌い込めるボーカロイドは反って演歌の切なさが響いてくるようで素敵ですね。彼女には五人の同胞ボーカロイドが商品化されていて赤咲湊、銀咲大和、金咲小春、白咲優大、黄咲愛里、ですが小春ちゃんと愛里ちゃんが女性の声です。 おまけ 卒業式でよく歌った「巴城ケ丘別離の歌」緑咲香澄 |
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