大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

佐七の独り言・うちゃあ、あんきや

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うちゃあ、あんきや、とは、家は気が休まります、という 意味ですが、やはり飛騨方言の代表的言い回しでしょう。 えっ、たったそれだけ、つまんない、と思った方よ、さようなら。

別項・飛騨方言の格助詞・が の通りですが、飛騨方言は格助詞の発音がないに等しいので、 家は気楽です、なのか、家が気楽です、なのか微妙な 問題を考えて見ましょう。

ビートルズの代表曲、A Hard Day's Night。 歌詞は、今日もこきつかわれた、仕事はとてもつらかった、家に帰ってほっとした、 やはり安住の場所はここしかない、と言う事を歌っているのですから、 家が気楽です、という共通語の意味で、佐七は、うちゃああんきやさ、と 飛騨方言に訳したのです。 「が」のつもりで、「が」と言う事がある、例 おりゃ誘ったんやで、 の別文例という訳ですね。

他方、(飛騨方言でご挨拶) の登場人物・都会に出た佐七青年ですが、手紙で ”拝啓、お袋殿。都会に出て一ヶ月ですが、すぐに慣れました。やはり都会は便利です。特に地下鉄が便利です。” と書いていたのはよいのですが、 久しぶりに帰省した時に、つい出てくる言葉が、
あーあ、うちゃああんきやあ。
でも、これが、家が気楽です、という意味で話したならば とんでもない意味になります。 つまりは、都会は実はつらい事ばかり、初めて帰省してホッとした、 都会はやはり自分が生活する所じゃない、やはり故郷が一番、 職場には戻りたくない、という意味になってしまいます。 そうではなく、この会話文は、「は」のつもりで、「は」と言う事がある、例 おりゃ遠慮しとくさ、 の別文例です。初めて帰省して故郷というものを再発見した、 都会もよいが、やはり故郷も素晴らしい、という意味ですものね。

以上が前置きと申しましょうか、実は半分しか説明していません。 つまりは、説明したのは話し手の意図と言う事でした。

聞き手の解釈が問題になってきます。 上記のビートルズソングですが、帰宅した佐七は、が、のつもりで、 は、と言った。これを奥様が、が、の意味と解釈すれば会話は 丸く収まります。ところが、は、の意味と解釈すると大変です。 例えばマドロス佐七ですが、遠洋航海から実に一年振りに帰宅、 たまには帰ってみるものだ、やはり家はいいね、などと解釈されたらさあ大変、心中おだやか ならぬ高山妻。 やはりここは、俺はあと何日で家に帰れるか毎日数えていたんだよ・ 俺にはお前がいる家が一番だ、 という意味で言ったものと解釈してもらいたいですね。

ついで都会に出た佐七青年の会話ですが、 本人、は、のつもりで、は、と言った。これを聞いた両親は、 例えば、が、のつもりで言ったのかと、 間違えて解釈してしまうと大変です。 例えば、両親の心に、それはだめだ、という気持ちがあれば、
そやけど、誰でもはじめは大変じゃさ。 東京に半年住んだだけでゃあまんだ結論は早すぎるさ。 そのうちに慣れてきて仕事が面白うなるんじゃで。 おりだちゃあまんだ元気やで、心配せるな。 わりゃ親の事なんか気にせずに仕事にうちこまんにゃ だしかんぞ。
とご返事くださるでしょう。 他方、両親の心が、そりゃそうだろう都会は駄目だ・田舎が一番、という気持ちであれば、
やっぱ親の言う通りじゃろ。 東京ってどごは、おぞくたいどごじゃさ。 半年も住んでわかったろ。 他人の集まりやでなあ。 田舎で百姓が一番やぞ。あたぁあ(=後は)嫁の心配だけや。そしゃそやぞ。ははは。
以上ですが、いまどきは多分こんな古風な会話はないのかも。

結論と参りましょう。 方言だから気持ちが正しく通じやすい、それは確かなのですが、 このように微妙にはぐらかすテクニックもある。しゃみしゃっきり。

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