大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

飛騨方言における接続助詞・やで、やから

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例えば飛騨高山の朝市で、売り子のおばちゃんが、共通語の言い回しとは言えない言い回し、
百円やで安いよ
ということばをもし言われても、百円だから安いわよ、という意味であろう事くらいは どなたでも直感できましょう。 事実、飛騨方言における接続助詞・やで、は、〜なので、〜だから、という意味で用いられます。

ところで、筆者自身が体系的に国文学を学んでおらず、 また思いつくままに飛騨方言の文法を解きあかそうとしておりますので、将来に品詞の分類の 変更を余儀なくされるかも知れません。また、飛騨方言の文法は既に先人が記載してお見えのことなのかも知れませんが、 実はあえてそのような調査もしておりません。私・素人が手探りで考えるとこういう思考プロセスに なるという事を中学生以上の方のどなたにもお示ししたい、というつもりで原稿を書いている次第です。

さて、"百円や。" という文を飛騨方言の文法でひも解けば、 百円が体言、そして、や、は指定の助動詞・や、という事になります。 これを共通語に訳しますと当然ながら、"百円だ。" という文になります。ここまでは良し、誰でもようわかる。

百円やで、という句になると品詞分解はどうなるのでしょう。百円だで、では共通語に訳した事になりません。 百円だから、と訳すべきでしょう。あるいは飛騨方言では、百円やから、とも言うのですが。

つまりは、百円やで、という句は、体言・百円+指定助動詞・や+接続助詞・で、と考えると
 飛騨方言        共通語      変換
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
共通語訳が成立する例、つまりはあれこれ場合分けして
変換が許可される文法を記述
 体言・百円   −−> 体言・百円    無変換
 指定助動詞・や −−> 指定助動詞・だ  逐語変換
 接続助詞・で  −−> 接続助詞・から  実は共通語どうしの変換

 体言・百円   −−> 体言・百円    無変換
 指定助動詞・や −−> 指定助動詞・だ  逐語変換
 接続助詞・から −−> 接続助詞・から  無変換

共通語訳が成立しない例、つまりは上記のルールでも足りず
変換が許されない文法を付記
 体言・百円   −−> 体言・百円    無変換
 指定助動詞・や −−> 指定助動詞・だ  逐語変換
 接続助詞・で  −−> 接続助詞・で   不成立
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
つまりは、接続助詞・で、が「や」の指定助動詞に接続する場合は 共通語に訳す場合、必ず同属たる「から」の接続助詞に変換しなくては ならない、という文法でしょうか。体言+なにか跳び+接続助詞・で、 という飛騨方言は、体言+なにか跳び+接続助詞・から、という 係り結びがあるという事でしょうか。

結果的には、飛騨方言と共通語は文法が異なるという事になって しまいます。無理な論法です。

ところが、やで、やから、だから、の三者が何れも接続助詞と考えると
 飛騨方言          共通語      変換
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
共通語訳が成立する例
 体言・百円     −−> 体言・百円    無変換
 接続助詞・やで   −−> 接続助詞・だから 逐語変換

 体言・百円     −−> 体言・百円    無変換
 指定助動詞・やから −−> 接続助詞・だから 逐語変換

共通語訳が成立しない例 無し
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このように考えると、すっきりします。つまりは飛騨方言も共通語も文法は全く同じです。 違うのは辞書だけです。飛騨方言辞書というものがある所以です。 ですからやはり、やで、は品詞分解しないほうがいいでしょう。 原子を見ただけでは、分子はわかりませんし、分子がわからなければ物体はわかりません。

以上の理由により、飛騨方言・やで、は助動詞・や、に由来する接続助詞という事でどうでしょうか。 いわば亜分子です。 そのほうが説明が簡単だから、じゃなかった、簡単やで。

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