辞書には、ならぬ、は、否定の助詞・ぬ、が指定の助動詞・なり、の未然形に接続したものと記載があります。
従って、ならん、という言葉は品詞分解できる句、と考えられます。
がしかし、飛騨方言においては、筆者は方言助詞に分類するのが適当ではないかと考えます。
飛騨方言で、行かなくてはならない、という意味で
行かならん という言葉があります。
勿論、行かねばならぬ、という共通語の言葉の訛りでしょう。ねば、が脱落し、ぬ、が撥音便となった次第です。
がしかし、実際には動詞・行く、の未然形+義務の助詞・ならん、と考えたほうが文法を考える上で話が簡単という事ではないでしょうか。
勿論、上一動詞、下一動詞、カ変動詞、サ変動詞とも未然形に接続です。例 起きならん、上げならん、せならん、こならん。
重要な点は、"ならん"は活用しない、という事でしょう。若し活用すればそれは助動詞です。
例えば、行かねばならぬ・終止形、行かねばならねば・仮定形、という二つの共通語文を比べてください。
ぬ、が、ね、に変換されています。つまり活用しています。共通語において、ぬ、が助動詞である事が一目瞭然です。
さてそれでは、飛騨方言では、行かねばならねば、を何と言うのでしょう。
行かならんなら、行かならんのなら、行かならんと、行かならんにゃ、
以上の四句を筆者なりに思い浮かべられますが、どうにもこうにも、ならん、の部分は活用しないのです。
以上の理由から、飛騨方言においては、ならん、という言葉が助詞として用いられていると筆者は主張いたします。
その接続則ですが、上記の未然形に接続の形式以外に実は、動詞未然形+否定の助動詞・ぬ、の終止形撥音便という形式が存在します。
つまりは、助動詞・ぬ、を省略しない、プロトタイプという訳です。
例 行かんならん、起きんならん、上げんならん、せんならん、こんならん。 意味は全く同じです。
以上、飛騨方言助詞・ならん、の議論でした。せっかくですので、少し話の続きを以下に、、、
付記 ならん、の共通語とおなじ言い回し
話が実はややこしくなって恐縮ですが、飛騨方言とて日本語です。
実は、指定の助動詞・なり、の未然形に否定の助詞・ぬ、の意味で、
つまりは共通語と同じ言い回しも飛騨方言には存在するのです。例えば、
どもならん ( = どうにもならない )
仏ならん我が身やさ。 ( =仏ならぬ我が身です。 )
などという言い回しがそれです。
これらの例文には、〜しなくてはならない、という義務の意味はありません。
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