散文調になってしまって恐縮なのですが悪しからず、
実は昨日は飛騨俚諺副詞・いごの再発見の日で
あった事から、また次々と文法の事実が浮かび上がりました。
共通語にも共通するといってもいいのですが、飛騨方言における係り結びの現象です。
共通語文例ですが、▼ひとつも覚えていない、▼ちっとも知らない、
▼幾らもしない酒、などから明らかな如く、程度の体言+助詞・も、
という副詞句があればそれに続く用言は必ず否定文になります。
ひとつも覚えている、ちっとも知っている、幾らもする酒、などとは
いいません。なぜでしょう。
答えは簡単です。▼ひとつたりとも覚えていない、十、二十覚えるなんて
私の頭じゃ無理、わたしゃたったひとつでさえがなかなか覚えられないのよ、
という意味であるからこそ、ひとつも〜、の文に続く用言は、
ひとつも言えない、ひとつも書けない、等々の否定文になるのです。
▼ちっとも〜、の語源ですが、佐七辞書・ちょびっとの
通りです、ちっとも、とはホンの極わずかな事さえも、という意味です。
▼幾らもしない安い酒、はどうでしょう。酒の値段なんて一万円札でおつりがくる値段です。
何十万円なんて酒なんかあるわけがない。一万円札さえ持っていけば酒屋さんで
好きな酒が買える、酒の値段なんてせいぜいそんなもんだ、という
つまりは幾らもしない、とはせいぜい九千円まで、下手すりゃ千円以下、
という意味です、言い換えれば、そんなには高くはない、という事です。
また、これらの文例には共通項があります。
ひとつ(=数えの最小単位)、ちと(=ほんのわずかの量)、幾ら(=どれだけかわからないにせよ、せいぜい数千円)、
これらはすべて物量、しかもすくない量、を示すことばです。
そして係助詞・も、には、でさえも、という意味があるので
続く用言は必ず否定文になり、全くもってだめである、という
意味で否定文になる、肯定文ではだめ、という係り結びになるのですね。
しかしながら以上は共通語の議論です。飛騨俚諺副詞「いご」は必ず否定文が後続します。
いごたべれん、は、幾らも食べられない、の意味です。
いごたべなんだ、は、幾らも食べなかった、の意味です。
いごかろうない、は、幾らも辛くない、の意味です。
副詞・いご、に何故否定文が後続しなくては
ならないのかは自明でしょう。以下はまとめに。
まとめ
現代文では、例えば、幾らも要らない、など、程度を表す体言+係助詞・も+否定文、の
形式の係り結びが存在する。
飛騨俚諺副詞・いご、の語源は、幾らも、であり、
必ずこの係り結び則に従う。例えば、
だいたい足りとるもんで、もういご要らん。
(=だいたい足りているので、もう幾らも要らない。)
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