大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 平安時代の飛騨方言

やくと(=わざと)

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私:飛騨方言副詞「やくと」は僕が高校入学時に方言に興味を持つきっかけととなった大切な言葉なので、この際はキチンと書きとどめておこうと思う。連日の方言千一夜「やくと・やくやくと・やくやく」だが、飛騨方言副詞「やくと」は平安末期から鎌倉初期に現れた言葉とみて間違いない。しかもその意味が一切、変化せず現代語として受け継がれている。但し令和の時代の飛騨の若者が話しているとは限らない。先ほどは飛騨方言ラインスタンプのネット情報をざっと見たが、「やくと」は皆無に近いね。とうとう死語になったか、という感じだ。
君:センチメンタル左七。ここは飛騨方言の墓場。博物館ね。ほほほ
私:然り。前置きはさておき、本題に入ろう。
君:どうして言葉の年代がわかるのか、という事よね。
私:誰にでもできる簡単なお遊びだ。古語辞典の文例を見ればよい。最古は記紀歌謡、つまりは古事記と日本書紀。
君:別稿「やくと」では「やくと」年代を明かさなかったのね。ほほほ
私:そんな事は無い。全ては時間切れが原因。本業もあるし、他の趣味もあるし。昨晩は同稿に「やくと」は最初は「ことさらに・熱心に」という良い意味だったが、「わざと・意地悪で」という悪い意味に代わった事をお書きした。良い意味「やくと」は枕草子や今昔物語の文例があるから平安の言葉で決まり。問題は悪い意味「やくと」だ。
君:文例は別の文献、より具体的には枕・今昔より後代の文献に見られる言葉なのね。
私:その通り。答えは名語記(みょうごき)。鎌倉時代。経尊著、建治元年(1275)に北条実時に献上され、現存しているので、当時の中央に悪い意味「やくと」があったのは間違いない。
君:ほほほ、意外と簡単ね。問題は今昔だわよ。平安末期である事は大方の研究者の意見だけれど実は成立が不肖。つまりは悪い意味「やくと」が中央で成立したのは平安末期から建治元年という事ね。
私:その通り。そこで強引とも言える僕の推論は、枕では良い意味だったが、今昔で悪い意味になった、この悪い意味は実は当時、つまりは平安末期から鎌倉のあたりに、既に中央のみならず全国津々浦々に浸透していたという事なのだろう。
君:どうして?
私:悪い意味「やくと」が全国の方言、と言っても東北、である事。飛騨の俚言であれば話は別だが、近世辺りに坂東方言であった事も文献がある。
君:とは言っても、名語記に実際に記載があるのだから、やはり平安末期・鎌倉の言葉・悪い意味の「やくと」ね。名語記もさすがね。
私:いや、それがそうでもない。名語記の評判はすこぶるよくない。
君:どういう事?
私:日本で最初の語源辞典と言ってもいいかもしれないが、書いている事はデタラメ。
君:ほほほ。言い過ぎよ。
私:こんな記事もある。ちょっと、こじつけすぎ〜!鎌倉時代の不思議な語源辞典『名語記』は、コアな情報系同人誌?
君:なるほどね。
私:誤解の無いように、左七は名語記を全否定している訳ではない。「やくと」が記載されている事により、飛騨方言「やくと」は若しかして鎌倉時代かも、という歴史ロマンに酔いしれている。
君:でも鎌倉と飛騨は随分、遠いわよ。
私:なんだ、君は木曽(源)義仲を知らんのか。挙兵するや、あっという間に飛騨平家を滅ぼし、倶利伽羅峠でも大勝利、上洛を果たした。何日でやり遂げたか、知ってるのかい。
君:義仲様すてき。左七には無いものを全てお持ちだわ。女性の憧れ、理想の男性ね。
私:俺って・・・弱いからなあ。義仲には勝てんわ、はっきり言って。
君:脱線し過ぎよ。今回は飛騨工説は出てこなかったわね。彼らが中央の言葉・畿内方言をせっせと飛騨に運んだという左七説。
私:飛騨工の出張って五世紀ほど続いたんだっけ。要は律令制における人頭税だ。律令制は平安末期には崩壊する。そんな時に飛騨工が中央と故郷の短期出張を繰り返していたとは考えられない。
君:今日の結論、現代に飛騨に生きる悪い意味「やくと」の成立は多分平安末期、あるいは遅くとも鎌倉時代というわけね。その言葉が室町・安土・江戸・明治・・音韻と意味が一切、変化せず令和まで伝わったのに・・滅びつつあるのよね。センチメンタル左七。ほほほ

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