大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 奈良・白鳳 |
古代日本語のアスペクト |
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私:複雑怪奇な国文法を、要はこういう事です、と簡単にお話しする場にしたいと思っている。 君:素粒子論や生命遺伝学等々と異なり、日常で誰もが自在に話している日本語の事だから気楽ね。 私:要はそういう事。国語学は私のような不惑に近い爺さんが、へえ・そうなんだ、と学び続けられるお手頃感が有難いね。ところで「学び続ける」という表現って状態アスペクトがパーフェクトで無い事をしめしている。 君:そもそもアスペクトとは。 私:元は英文法の概念。時間的経過で動詞の内容が二つの時間にまたがっている事。中等文法、所謂、学校文法では習わない。理由はズバリ知る必要が無いから。ぶっ 君:それでも中高英語で五つのテンス(時相)を学ぶわね。未来、現在、現在完了、過去、過去完了。 私:現在完了と過去完了が強いて言えばアスペクトに近い。 君:じゃあパーフェクトは? 私:この概念は新しい。ロシアの言語学者マスロフ、1984。従ってそれ以前の文学部卒業者には a new idea たる同語を知らない人がいらっしゃるかも。 君:簡単に説明お願いね。現在完了 present perfect tense と過去完了 past perfect tense の "perfect" とは意味が異なるのね。ややこしいわ。 私:うん。現在完了・過去完了を "perfect" で表現するのは「やったあ、成し遂げたぞ、一区切りだ」という意味だね。つまりは "perfect tense" とは "mission accomplished" の意味だ。ところで動詞というものは先行する段階と後続する段階の結びつきについて言及する場合が多い。この二つの場合が完全に繋がっている事をパーフェクトという。つまりは continuity(連続性), seamlessness(一点の綻びも無い事) の意味。たとえ結びついていても繋がり性が乏しい、或いは断続的な場合についてはパーフェクト性が無いという。 君:冒頭に戻って、あなたが方言・古典文法を学び始めたのが高一、そして今も学んでいる。だからアスペクトはあるけれどパーフェクト性が無いのよね。 私:大学生以降、52歳まではノータッチ。本業一筋。遊びで始めたものの三年しか続かず11年中断、あるきっかけで再開して二年になる。つまりは通算五年だからパーフェクトとは言い難いな。僕の人生のパーフェクトと言えば夕飯だけは欠食した事が無い事位だ。ぶふっ 君:例えパーフェクトでなくても気まぐれ屋さんがよく続いたわね。 私:なにせ自分の大脳に詰まっている飛騨方言の探求だ。研究材料には事欠かないし、研究費というものが不要なのが助かるね。書籍はざっと百万円ほど買いそろえたが。がはは 君:そんな事はいいから奈良時代のアスペクトのお話にして。 私:うん。昨晩は「してる・しとる・しよる」の品詞分解をして「ゐる」がアスペクトの本質である事を論述したが、あれは実は現代日本語のアスペクトについて言及したのであって、古代日本語のアスペクトに「ゐる」は無い。従って昨晩の話は、現代日本語のアスペクトは古代語「ゐる」を用いている、と書き改めたい。 君:どこかに記載があったのね。 私:その通り。大修館書店・日本語文法辞典を読んだ。古代日本語、奈良・平安のテンス・アスペクトのパーツとしては完了・過去の助動詞「つ・ぬ・たり・り・き」以上の5つの助動詞が関与している。 君:助動詞か、確かにね。でも指定・比況・推量・伝聞・意志等々、他の助動詞でも内容が二つの時間にまたがっている事ってありそうだけど。 私:日本語文法学会の発行する辞典にそう書かれているんだ。鵜呑みにしたほうが得策だな。ぶっ 君:それもそうね。 私:では簡単に。古代日本語でパーフェクトを示すものは「たり・り」。そしてこれが肝、パーフェクトにも過去形と非過去形があって「き」がつくと過去形になり、つかないと非過去形。 君:つまりは「き」単独はアスペクトではない、という事ね。 私:そういう事。「き」単独は単なる過去。つまりはテンスはあるがアスペクトは無い。 君:つまりは過去形のパーフェクトが「たりき・りき」で非過去形のパーフェクトが「たり・り」。 私:そういう事。そこに加わるややこしい概念が「完成相・不完成相」。 君:とは。 私:「完成相」とは連続及び先が無い事。例えば「この年まで生きてきた」とか「遂に死んだ」とか。それ以外が「不完成相」。例えば「左七は高一以来、方言学に興味があった」とか。ブランクあり過ぎ。ぶっ 君:なるほど。それでも「つ・ぬ」の接続で完成相、裸の動詞で不完成相。 私:そういう事。過去「き」をこれに接続させる事もできる。裸の動詞に「き」なら不完成相。そして接続助詞「て・に」を用い「てき・にき」をこれに接続すると完成相のアスペクトがテンス的には過去になるというわけ。 君:具体例は。 私:例えば「方言の勉強せにゃ(しなくては・しぬにや(飛騨方言では、せぬにや))。」と言えばアスペクト的には完成相、テンス的には非過去。これは奈良時代から令和に至るまで変わっていないわけだ。左七は実はマンガを読んだり寝そべったりしつつ、勉強しなくちゃと思い続けているだけ。ぶふっ 君:という記事を書いて「したり顔の左七」。アスペクトはパーフェクトでテンスは非過去ね。今日も遂に面白い記事が書けた、達成感有り。おめでとう。 私:優しいね、ありがとう。という事で「そろそろ、ねにゃ(寝なくては)」。 君:「ねにゃ(寝ぬにや)」アスペクト完成相・テンス非過去。 私:という事で「てき・にき・き・たりき・りき」の飛騨方言文例、つまりはテンスが過去のものが思いつかない。 君:多分、消滅しぬ(アスペクト完成相)あるいは、遂に消滅したり(アスペクト・パーフェクト)。ほほほ |
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