大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム方言学< |
飛騨方言解釈における日葡辞書の意義 |
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私:今日は日葡辞書のさわりで。 君:お値段がお値段だけに。でも遂にお買いになったのよね。 私:ははは、その通り。ところで日本のキリスト教史については御存じですか。 君:いいえ、特には。 私:私なんか高校の日本史の知識どまりで。一応は受験科目だったのですが、世界史が苦手です。 君:ザビエルのお話ですか。 私:いいえ。ここは方言サイトですから日葡辞書のお話を。脱線はしますが、私の米国の友人が Francis フランクです。フランク君にザビエルの話を聞かせた事があります。 君:フランク様のご出身が少し分かるわね。 私:日葡辞書に絞りましょう。イエズス会、ジョアン・ロドリゲスなどがキーワードです。ネット情報も多いですね。 君:でも現代の飛騨方言とイエズス会が結びつかぬ方が多いでしょう。 私:そうですが、実は関係が大有りです。イエズス会が編纂した日葡辞書は安土桃山時代あたりの日本語音韻をことごとく記載した超一級方言資料です。また、現代の飛騨方言は当時の畿内方言、つまりは日葡辞書の記載内容、の流れをくむ方言ですから。 君:なるほど、例えば。 私:実は数えきれない例があるのだけど、例えば Caxiqu Caxiqi という単語。読みは「かしく・かしき」だ。ポルトガル語なので英語の感覚からすると読みは少し違和感があるね。 君:それって古語だわよ。若しかしたら飛騨方言なのよね。 私:ははは。勿論だ。「かしく」他カ四は「飯を炊く」という意味の動詞、「かしき」は連用形で「飯を炊く事」の意味。ともに飛騨方言だよね。「かしきさ」とは「飯を炊く人・賄い婦」という意味の飛騨方言だね。俚言かもしれないね。「かしきさ」は日葡辞書には記載なし。 君:私もあなたに同じく生まれも育ちが飛騨。でも、私には「かしく・かしき」は方言としてはピンと来ないわ、 私:あなたは私よりお若い。少し世代が違うだけで、もう飛騨方言がわからなくなる。飛騨方言は急速に消滅しつつあるのだろうね。ただし、この言葉は心に封印していただけの、私にとっては生活の言葉だね。 君:共通語では「かしぐ・炊ぐ」よね。でも、あまり使わないわ。 私:実は私も「かしく」は一度も使った事がなく、また聞いた事すらないのです。「かしきさ」は「かしき」に様を意味する接尾語を足した言葉ですね。「かしきさ」の言葉はあなたのご両親様ならご存知でしょう。 君:私の両親は知らずに日葡辞書・つまりは安土桃山時代あたりの言葉を話しているわけよね。 私:私が面白いと感ずるのは共通語が濁音、飛騨方言が清音である点かな。共通語・飛騨方言の音韻対応では大半の例は逆だよね。飛騨方言は濁音が多い。唯一、逆なのが「かしく・かしき」。 君:あなたの事だもの、一生懸命にもうひとつお探しなのにどうしてもみつからなかった、という意味よね。ほほほ 私:まあ、そんなところだ。まとめを。Caxiqu Caxiqi の記載によって現代の飛騨方言の音韻は中世の近畿方言の音韻が残っていることや、中央では江戸時代に、かしく>かしぐ、の音韻変化が生じた事が判るよね。 君:天草版等が九州方言の理解に役立つであろう事は誰でも想像できるわね。また、日葡辞書なくしては飛騨方言の解析も不可能というなのよね。 |
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