大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
あさんずの橋 |
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私:当サイトも飛騨方言のご紹介に留まらず、深く方言学全般について語るべく、日々、勉強の毎日だ。 君:まずは、何故、表題なのかの説明ね。 私:うん。僕が偶然にもこの言葉を知ったのはオートバイで下呂市萩原町尾崎をツーリングしていたから。 君:あさんず橋。 私:橋の傍には立派な石碑が立っている。驚いた。 君:石碑の立派さに驚いたのね。 私:それも然ることながら・・こんな日本語ってあるんだぁ、と茫然、しばらくそこに立ち尽くし、それから「あさんず」についてあれこれ調べものをし始めた。例えばここ。 君:簡単に要約してね。 私:うん。田中大秀は江戸時代の国学者。本居宣長の直弟子。彼も「あさんず」という音韻に大変な興味を持ち、調べて、文献的にも「あさみづのはし」である、と説いた。 君:つまりは「み」が「ん」になった、と言うお話ね。 私:そういう事。問題は橋がいつからあったのか、という事。 君:不明なのよね。 私:奈良時代に決まっているよ。位山官道の通り道だ。飛騨工が奈良と故郷・飛騨を往復した。平安時代に律令制が崩壊するまで、延べ四万人が行き来している。下呂の語源は「げる下留」。位山官道の宿場。あさんず橋はJR上呂駅の直ぐ傍だが、上呂も「じやうる上留」であったに違いない。 君:「じやうる・あさみづ」、つまりは奈良時代の音韻は現代とは似ても似つかぬ音韻だったとおっしゃりたいのね。ほほほ 私:まさにその通りだ。「あさんず」に的を絞ろう。日本語としては極めて異例ともいえる音韻。普通は「あさみず」ないし「あさみ」でしょ。これについて思い出される事は? 君:ほほほ、上代特殊仮名遣いのマ行音、然もイ段。マ行イ段の甲類と乙類の違いね。要するにこれは日本語における母音調和の問題ね。 私:正にその通り。甲類は「民彌美三水見視御」の八文字。乙類は「未味尾微身実箕」の七文字。従って古代の音韻は「あさみづ浅水」であった事は明らか。田中大秀は偉大だ。ただし、彼は母音調和に気づいていない。 君:JAあさんず支店が外国語っぽい音韻が誤解を招きかねないという事で「JAあさみず」に改称、つまり先祖返りなさったのよ。ほほほ 私:逆に「アサンズベーカリー」とか「ビューティーパーラー・アサンズ」があるとすれば、ばっちり決まっている感じだね。 君:本当は英語を紹介したいのでしょ。St Athans Hotel, London. ほほほ 私:これが今夜の主題というべきか。上代特殊仮名遣いのマ行イ段乙類は「ミ」から「ム」に音韻変化する事がある。ヒントは「カミ神」。 君:ほほほ、カミサマ神様の月がカムナヅキ神無月。更に音韻変化してカンナヅキ。 私:それを発見したのが有坂秀世という早世の天才。「ナ」は格助詞「の」だ。 君:では総括をお願いね。 私:「アサンズ」の音韻が奇異、つまり日本語らしく感ぜられない最大の理由は有坂・池上法則に反するから。つまり古代から橋はあったが、その名も「あさみづの橋」。 君:ほほほ、その通りだけれど、中世あたりに「あさんず」の音韻を発案した当時の飛騨の民、つまり萩原町尾崎の人々はもっと偉大ね。 私:いや、君のこ先祖様「じやうる」の人々だったかも知れないよ。 君:Who at St Athans Hotel knows? But people of Jouro might ! |
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