大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
飛騨方言の周辺 |
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富山 加賀 美濃 名古屋 その他 飛騨方言が確立した年代と言えば、諸国の方言と同じく江戸時代という事ですね。三世紀に及ぶ幕藩体制により人々の出入りは厳しく統制され、つまりは言葉の行き来も自由には出来なかったわけです。現代の飛騨人が江戸時代の飛騨人と会話をする機会があるとすれば、当然ながら相当の困難が伴うと思いますが、基本的な文法が違わないという事で、結局は意思相通は可能であろうという事が推察されます。 さてさて、私が当サイトに記載する内容は既に死語の言葉も多く、現代語として生きている言葉は多くはありません。そして飛騨に生まれ育った私の個人的趣味として、飛騨の俚言に抑えがたい興味があり、特にその語源を探るべくあれこれ思索の日々が続いてきましたが、私が飛騨の俚言と信じ込んでいた言葉の中にも実は飛騨の国を囲む国、つまりは越中、加賀、信州、美濃、尾張の方言を知るに及んで、これらの国から飛騨の国にどうも漏れてきたらしい言葉がある事に気づきました。また逆に、飛騨からこれら周辺の国に飛騨の言葉が漏れていった可能性もありましょう。結局のところは、飛騨へ言葉が流入したのか、あるいは飛騨から言葉が漏れ出ていったのか、私にはわかりまぜん。飛騨の周辺の国に同じ言葉が話されているのだから、つまりはどちらかなのだろうと、勝手に想像しているだけです。偶然にも隣接する二つの地域で同時多発的に俚言が生まれた可能性は無いでしょう。 A posteriori reasoning, and not a priori reasoning, of course. まずは事実を受け止めて、事実をうまく説明する理論を考えよう。まともな前頭葉で考えるとそれ以外には考えられません。方言の神様とハグ出来る瞬間です。 では早速に実例です。この事に最初に気づいたのがトウモロコシでした。富山では「となわ」です。ところが飛騨では「とうな」です。富山で「とう唐+あわ粟」と言っていた言葉が飛騨に伝わり、飛騨では「わ」が脱落して「とうな」になったに違いありません。つまりはトウモロコシは飛騨には富山経由で室町時代にもたらされたに違いありません。 このような些細な事に気づくと、どんな飛騨方言でも周辺からもたされた言葉なのか、あるいは周辺へ漏れ出た言葉なのか、気になってしかたありません。つまりは、私は病気なのです。細かいことが気になってしかたないのです。 若者言葉で「すきやお!」という岐阜市の方言、つまりは美濃方言がありますが、令和時代の飛騨のラインスタンプに出現しています。昭和の時代に飛騨では「すきやお!」は使用されなかったでしょう。つまりは平成の時代に岐阜市から高山市へ輸出された言葉であろうと確信いたします。今どきの若者言葉なのですね。はっきり言っておくが、俺は1972年に高校卒業まで、ずうっと飛騨で暮らしていたのに、その間に異性から「すきやお!」なんて言われて事は一度たりともないぞ!それを言うなら、あーれ・こーわいさぁ・私えな左七を好きになってまったんやさ。ぶふっ |
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