大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 音声学 |
不変量の欠如 |
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私:言語というものは実に不思議なもので、動物の中でも人間だけに存在する。そして、そもそも言葉とは音響学的に何か、という根本的命題の答えが表題の「不変量の欠如」という考え。少しばかり説明が必要だろう。同論文の冒頭に出てくる。 君:忙しい読者の皆様のために一言でお願いね。 私:うん。例えば、ア、という母音だが、男性の声、女性の声、あるいは同じ人間でも少し高い声で発声しても、あるいは低い声で発声しても、あるいは早口で発声しても、少し遅く発声しても、アはア、という事で聞く人間は皆がその声をアと認識できる。各人の声の物理的な特性、即ち声紋分析を調べても不変の特徴量というものは見出されないんだ。 君:不変量の欠如とは、要は英語の直訳、日本語としてこなれていないわね。反対語の概念で行くと、即ち、変量という意味じゃないのかしら。 私:まあ、そんなところだね。変化量、千変万化量、自在量、等、他にいくらでも言い方はある。アという絶対的な、唯一無二の音韻であっても、千差万別の声紋のパターンになり得るという言い換えてもいいね。このように、アという音は皆がアと思っている音のパターンであって仮名で表象されるものではない、と言い換えてもいい。文字は目から脳に入る為の便宜的なものであったという事だ。あれこれ考えだすと、声ひとつでも訳が分からなくなるんだ。 君:あら、他にもわからないことがあるのね。 私:平仮名で、あいうえお、と表記すると、5つの不連続音声情報のように錯覚してしまうが、実際は違う。人間が声を発する時には、あいうえお、という音声は実はアナログたる連続量だ。強いて言えば、5つのパターンが時系列的に折り重なって表現される、という事じゃないかな。 君:ほほほ、つまりは全てが連母音という意味ね。 私:つまりは、2モーラなのか連母音なのか、という命題だが、表記してしまえば如何にも2モーラは2個の不連続音声情報のように感じてしまうが、あ、から、い、に発声が移る過程は連続だ。つまりは連続して発声している。つまりは2モーラと連母音の違いを音声学的に、つまりは数学的に表記するのは難しいね。 君:私たちの脳は相当に難しい事を平気でやり遂げているようね。 私:国語学というか、方言学以前の問題だね。人は人として存在しているだけで価値があるが、然も聞いて話す事が出来るだけで十二分に人の価値がある。「あ」という音声ひとつを認知、発声するにも、脳の中には壮大なドラマが展開しているんだ。 君:そこへ更に方言学でご託宣を並べられたら最高に幸せよね。ほほほ |
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