大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 音声学 |
相補分布 complementary distribution |
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私:今日の話題は相補分布について。音の区別の最小単位たる異音には条件異音と自由異音の二種類がある。カメ亀・サメ鮫、のように音の違いが意味的な違いになるのが条件異音で /k/ と /s/ は相補分布していると定義される。 君:お互いに補い合うという意味なので、 /k/ は /s/ の代用はできないし、逆に /s/ も /k/ の代用はできないという意味ね。 私:それ以前の根源的な考えとしては、言語学では complement と言う言葉がある。完全 complete の名詞といってもいいけれど、意味としてまとまりのあるもの、つまりは完結しているもの、という意味。具体的には品詞を指すことが多いが、節、文章なども広義の complement 。音声学に敷衍すると、/カ/・/サ/の音声はそれぞれが互いに意味の違いを示すモーラなので、それらの音素たる /k/ と /s/ は complementary であるし、話し言葉における使用形態も complementary であるという意味。条件異音は相補分布する、という日本語は自己矛盾を含んでいる。 君:条件・相補、この二語は結局は同じ意味ですものね。 私:条件分布とか、相補異音とか、どちらかに統一して欲しいね。英語にして然り、conditional or complementary 。ついでといってはなんだが、異音 allophone も少々、へんてこりんな名前。allo は古代ギリシャ語で other の意味で、phone は音。その観点からは異音と訳すのは良しとして、実は音韻的単位との違いは恣意的だ。音韻の違いは音素(おんそ、英: phoneme)の違いとして定義されるが、そもそもが音素とは、つまりは心理的な実在として、母語話者にとって同じと感じられ、また意味を区別する働きをする音声上の最小単位の事。音素の違いは異音の認識という事であるから、つまりは、相補分布する条件異音とは音素の違いが原因たる音韻の違いと同じ意味でしょ。 君:意味の事を議論に入れるから話がゴチャゴチャするのよ。意味だけを主に論じたければ音韻学で論じればいいし、音声学が意味の助けを借りて、意味の違いがある異音を条件異音という事、そしてそれは相補分布という現象に現れるという事ね。他方で、意味の違いが無い異音を自由異音といい相補分布は無いという事じゃないかしら。 私:うん、賛成だ。ソシュール学説も当てはまるんじゃないか。シニフィアン(音)とシニフィエ(意味)。シニフィエ対シニフィアンが一対一対対応する場合、これを音声学では異音の違いととらえている。多対一の場合は音声学の問題であり、自由異音の問題という事だ。問題は一対多の場合だが、この場合は、文法・語彙が大いに関係し、もはや音声学の扱う問題ではなく、要は同音異義語の世界の事であり、まさに音韻学の出番というわけだ。 君:異音同意語は音声学の問題であり、同音異義語は音韻学の問題というわけね。前者では相補分布が無し、後者は有り、という事ね。 私:いや、ちょっと違う。やはり音声学は音韻学以上に深いところを追求していて、よく引き合いに出されるのが/ン/の音だ。日本語には実は四つの/ン/があると言われ、日本人は無意識に使い分けていて、然も四つの/ン/は相補分布する事も知られている。★/nr/(両唇音の前)サンバン・デンパ・ニンム、★/n/(歯音の前)サンダイ・ホントウ・ミンナ、★/ng/(軟口蓋音の前)サンガイ・シンカ、★/N/(語末)サン・ゴハン。 君:ちょっと信じられないわね。電波がみんな三階に届かん、音声学的にはンは全部、異なるのね。外国人が実は日本人の話す四種類の/ン/を聞き分けている、つまりはその相補分布を認識しているという意味かしら。 私:そうだね。/ン/が四つあるのは世界の言語に共通だが、一部しか使わない言語もある。意味の違いで使い分けている国の人にとっては日本語はとっつきにくい、という事になる。時間切れ、書き出せばきりがない。 君:日本人が外国語が耳障りであるのと同様に、外国人も日本人が無意識に話す日本語について違和感を感じていらっしゃるという意味ね。それが言語学・音声学というわけね。 ほほほ |
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