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大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 多義語

多義語の成因(2)

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私:多義語は各国の言語に共通の現象であり、つまりは言語というものの本質といってもいいだろうね。その成因については誰でも気づきそうな簡単なルールが幾つあると思うが、つい先ほど、ひとつ思いついた。
君:いきなり書くのではなく、少しは専門書にあたらなくちゃ駄目よ。
私:いかにも。
君:でも、ざっと調べてどこにも書かれていなかったのね。
私:まあそうだね。多義語を一言で、要は音韻が変化せず、意味が増える事。多義性が注目されがちだと思うけれど、実は音韻が変化しないという事にも重要な意味が隠されているのではなかろうか。
君:なるほど、それはそうね。
私:音韻が変化するタイプとしては、連母音、リエゾン、長音化、短呼化、母音交替、子音交替、連声、連濁、訛り、等々。つまり沢山の法則がある。この逆で音韻が変化しないタイプとしては、つまりは多義語が生まれる機序としては、三拍以下の和語、有坂・池上法則(母音調和)、この二つに帰結すると思う。更に一つを足すならば頭音法則。つまりは佐七はソシュール学説は正しいとする立場。音韻の変化は各種の機序によってしばしば生ずるが、音韻の変化が生じない語彙は少ないのでは、と直感する。大型のコンピュータによるコーパス解析、つまり定量化により数字で証明ができると思うんだがね。
君:やま・かわ、にはどうして方言が存在しないのかという命題。今まで何度も書いてきたわね。 ほほほ

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