大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 多義語 |
ソシュール学説 |
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私:多義語で思い出すのはソシュール。 君:つまりはソシュール学説とは多義語という概念に対するアンチテーゼなのね。 私:早い話がそういう事。 君:簡単にひとことで説明してね。 私:言葉というものは意味も音韻も時代と共に変化していく。ソシュール学説とは言葉の根本的意味(シニフィエ)は変わらず、音韻(シニフィアン)だけが変化していくという考え。多義性とは音韻が変わらないにもかかわらず時代と共に複数の意味が加わる現象。つまりソシュール学説と多義性は正反対の理論。 君:どんな言葉にも二面性はあるわよ。両理論は両極端という事じゃないかしら。 私:そうだね。これが言語の奥深さといってもいい。多義性 polysemy の対語は単義性 monosemy というらしいが、一つの音韻に一つの意味、つまりはコンピュータ言語などの人工言語の世界。AIの普及によって解消されつつあるが、行間を読むのはコンピュータにとっては至難の業だね。一言で多義性といってもタイプ・原因が複数ある。例えば文法条件、語彙的条件、音声的条件、など。また更には、一言で文法条件といっても助詞・助動詞の大半は多義的だし、修飾・被修飾の関係とか、考えだしたらキリがない。語彙といっても同義語・類義語があり、広義・狭義があり、分かち書き問題、場面・文脈・使用者・文体、など各種の要素が複雑に絡んでいる。 君:多義語は悪、というような考えってないかしら。 私:論理哲学の分野などがそうじゃないかな。 君:またその正反対で、多義語は善、というような考えもあるのよね。 私:多義性は言語の特質そのもの、一言でいうと言語の経済性、あるいは曖昧性の美学という事でしょう。 君:婉曲表現はコンピュータ言語では難しそうね。賢すぎる機械だけに。 私:ははは、それってコンピュータを馬鹿にしてるって事じゃないか。 君:私ってそんな事、これっぽっちも思っていないわよ。佐七の馬鹿! 私:おいおい、それって僕に気があるって事かい? 君:無いわよ。 ほほほ |
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