大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 多義語 |
多義語の解消 |
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私:多義語というものは一つの言葉が各種の意味で用いられる事なので、記憶の負担を軽減させる点で経済性が高い。つまり価値が高い。ただし経済性という利点は曖昧さという欠点と表裏の関係にある。この短所はほとんどの場合、文脈によって解消される。 君:ほとんど、というからには、つまりはそれ以外の解消方法があるという意味ね。 私:日本では外来語を輸入する際に「ストライキ・ストライク」のように音韻を変えてしまい、同音異義語を嫌って強引にも異音語にしてしまう方法がとられる事が多いんだ。洋裁で布地に印をつけるチョークをチャコという。つまりは近代語のパターン。メールやラインといった言葉は現代における多義語。 君:以上は話し言葉の世界ね。 私:そう。書き言葉の世界ともなると、ホシを挙げる、などと敢えて片仮名表記にする方法があるね。また例えば、図る・諮る等々、意味の違いを違う漢字を当てる方法があるが、そもそもが、はかる、という同じ音韻から意味が分かれていった多義語という事になる。「かわいい」という形容詞は飛騨方言では、可愛らしい・可哀そう、の二つの意味があるが、若し飛騨方言の文学があるとすれば、可愛い・可哀い、とでも表記を変えればいいのだろうかね。半ば冗談だが。 君:当然と言えば当然、両語とも、形クかほはゆし顔映、が語源なのよね。ほほほ |
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