大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路 |
雀こ 津軽方言 |
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私:太宰治の短編抒情詩。昭和10年9月1日発行の『文学界』第二巻第八号の作品。無料の Kindle版 雀こがあるし、青空文庫にもある。雀こ。 君:促音便にはならないのね。 私:ああ。「すずめこ」だ。名詞「雀」+接尾語(辞)「こ子」の合成語である事は書かずもがな。接尾語(辞)「こ子」は牛のような大きな動物の愛称でもある。例「べこ」。小鳥のような小動物は猶更。 君:太宰治の作品の中で唯一、津軽方言で書かれた作品なのね。 私:その通り。表題にあるように敬愛する井伏鱒二に捧げた作品と言ってもいい。 君:井伏鱒二との関係は。 私:師弟関係だ。太宰は旧制高校時代に井伏の作品に感銘し、東京帝大学生中から井伏鱒二に師事し、小説家になる事を決意する。 君:雀こ、は初期の作品よね。 私:初期といえば初期。井伏に師事してから三年ほどの作品だったかね、確か。 君:確か、というのはお言葉だわよ。あなた、太宰文学に傾倒していたのじゃないのね。 私:正直を言って、この作品について知ったのも、つい最近。 君:走れメロスは日本人なら誰でも読むのにね。ほほほ 私:入水(じゅすい)自殺というのがいけないね。正直申し上げると、あそこまでのデカダンス文学は僕の肌には合わないな。同時代を生きている田宮虎彦作品、つまりは足摺岬とか、などは若い時にポロポロと涙しながら読んだ事を覚えている。基本的には今も私の田宮虎彦好きは変わらない。つまりは僕はザ・愛妻家。愛のかたみ・田宮虎彦(2) 田宮千代という女性もご参考までに。世界中を探しても、妻・美子ほどに素敵な女性はいない。家内に若し先立たれるような事があれば、それこそ後を追う衝動に駆られるかもしれない。 君:おのろけも結構ですが、今日は太宰作品「雀こ」のお話にしましょう。 私:そうだね。失礼。 君:簡単にあらすじをお願いね。 私:「勝ってうれしい花いちもんめ・負けて悔しい花いちもんめ」、これは全国共通の子供達の遊び。僕も小学校時代は男女入り乱れて日暮れまで小学校の校庭で遊んだ思い出がある。花いちもんめに書いたとおりだ。津軽では「雀こ」の名前で「花いちもんめ」の遊びをします、という内容だね。 君:「雀こ」の記載、つまり津軽方言は日本人一般には理解が難しい一方、あなたの村・大西村の「花いちもんめ」は共通語といってもいいので内容は簡単に理解できるわね。 私:どこのお国言葉で記載されようとも、子供のお遊び故、複雑な内容などあるわけがない。要はツンデレのいじめっ子と可哀想ないじめられっ子という力構図だ。 君:モチーフはなにかしら。初恋に通じるノスタルジアとか、あるいは逆に、子供に潜む残虐性とか。 私:そうだね。じゃあ、いよいよ本題という事で。僕がこのサイトに花いちもんめを上梓したのは、それはもう、ノスタルジアだよ。気が付けば67歳。人間、歳を重ねると、妙に故郷が懐かしくなる。室生犀星だ。 君:太宰もノスタルジアから書いたのかしら。 私:それは断じてないね。彼がまだ若い時、駆けだしの時の作品だ。ヒントもなにも、井伏鱒二へ、の副題から、太宰が「雀こ」を執筆した意図は明白だ。 君:つまりは師と仰ぐ井伏と林芙美子は恋仲で、二人は共に広島の出身。つまりは地方の出身。太宰は津軽の出身である事の証として「雀こ」を執筆したのよね。 私:ああ、間違いない。彼の根本は屈折した人間の感情。方言コンプレックス野郎が、わざわざ方言丸出しの短編を書いたのだから。 君:林芙美子に対する思いもあるわよね。 私:ああ。彼女は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』と揶揄される事もあるが、実際にパリに滞在した事は紛れもない事実。ところが太宰はどうだ。彼は東京帝大仏文科になんと無試験で入学したのはいいものの、フランス語をマスターできなかった。帝大生が故の苦悩という訳だ。自尊心もなにもあったものではないだろう。従って、林に対して、君は広島の片田舎・僕は津軽の片田舎、お互いに田舎の出身なんだよね、とでも言いたかったのだろう。つまりは「雀こ」のモチーフはフランス語で言うならば、パロディーにエスプリ。 君:ほほほ、そこまでお書きになるのはどうかしら。 私:言いたきゃ何とでも言え。ところで、ユーチューブには地元のおかたの読み語りがある。 。 君:やはり聞いたほうが味があるわね。ところで、津軽地方は旅行なさったのかしら。 私:ああ、ひとりでね。オートバイだ。平野をトボトボと走った。残念ながら人には会わなかった。 君:あなたがここに飛騨方言の記事を書きまくっているのも太宰と同じような屈折した感情があるからじゃないのかしら。 私:有難い事に、それは一切、ないね。僕は太宰が本当に気の毒な人に思える。 君:どうして気の毒なのかしら。 私:彼は津軽方言の訛りをとても気にしていた。 君:世にいう「ズーズー弁」という発音ね。矯正できそうな気もするけれど。 私:ついつい、ポロっと出てしまう途端に地獄の苦しみを味わう、というような事だったのだろうね。気取った生き方をしたい、女にもてたい、と思えば思うほど、そのような苦しみが生ずるのだろう。 君:それはどうかしら。言い過ぎはお気をつけ遊びなさいませ。 私:じゃあ、具体的な話で行こう。彼の本名は津島修治。これを所謂、ズーズー弁で発音すると「ツスマスーズ」になる。自分の名前をいう事すらビクビクしていた。ぺンネームが「ダザイ・オサム」なら津軽方言の訛りがバレないからという事で太宰治を名乗る事にしたんだ。 君:なるほどね。どんなに大金持ちの家のお坊ちゃんでも、お金では買えない事で悩んでいらっしゃったのね。 私:悩む必要なんかないのに悩んでいた。彼らしい。 君:あなたも少しは方言で悩まなかったのかしら。 私:飛騨方言はアクセントが基本的に東京式だからね。僕は東京の出身です、と偽って東京のご出身以外の人とお話をしてバレた事が一度もないんだ。勿論、最後には、飛騨の高山の出身です、と告白する。自慢じゃないが社会人になるまで東京に行った事が無かった。生まれ育ちが高山で、大学は名古屋。学生時代は、一刻も早く出世して東京の銀座を闊歩したい、と思い続けていた。有難い事に外国語のコンプレックスも一切、無い。英語、ドイツ語は大好きだ。 君:ほほほ、太宰治に対するコンプレックス丸出しね。あなたこそ、性格がいびつだわよ。 私:うーん、そうかもしれない。そんな僕だからこそ太宰をまねた事がある。書いたのは十年以上前だが、「ぶつ」。 君:かなり強烈な飛騨方言よね。 私:仰せの通り、普通はここまでの飛騨方言が日常会話で話される事はないね。でも大西佐七の遺作として残そうと思って、使える限りの飛騨方言を使ってみたんだ。 君:ご苦労様。 私:これが結構、無断借用されて。まあ、いちいち目くじらを立てる事でもないが。 君:ほほほ、名誉な事じゃないの。 私:そういう事。まことに話は尽きないが、締めくくりに論文をひとつ紹介しよう。「舌切り雀」とその周辺 : 児童文学の素材へのアプローチ。古典文学で扱われる雀について。隙間の学問という訳だ。太宰作品「雀こ」についても詳述してある。 君:。今日は津軽方言そっちのけで、太宰文学論だったわね。ほほほ。 私:チョッピリ、大人向け。さて、気づける人は気づいていると思うが、「雀こ」は戦前なのに新字新仮名。 君:普通は旧字旧仮名よね。ほほほ |
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