大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

高知 鰹のタタキぜよ

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私:南国土佐は小牧空港からの直行便があり、片道55分の旅。目と鼻の先と言ってもいい。
君:あら、オートバイじゃないの。
私:一人ならオートバイ。名神、山陽道でまずは兵庫県へ。明石大橋経由で良し、岡山から四国大橋経由で良し。両ルートとも香川県からは高知県南国市まで高速道路の旅。2022年現在、高知市の郊外に東西の高速塘路が出来て無料区間となっているしね。
君:二人なら空の旅ね。
私:家内は私ほどに体力が無い。夫婦の旅は空と決めている。
君:若しかして坂本龍馬高知空港でのお話?
私:感がいいね。夕食は空港で、折角だから郷土料理というお話だよ。
君:ほほほ、お店の前に手書きで書かれていたお勧め案内を見て、やれやれとため息をついた貴方の姿が目に浮かぶわ。
私:ははは、お察しがいいね。「〜ぜよ」といえば如何にも土佐方言らしい言い方、という事で、お店の熱意は伝わるのだが、文法を間違えてくださっては、素直に、ハイ・では注文します、というわけにはいかないね。
君:どこがいけないのか、ピンと来ない読者のお方も多いのじゃないかしら。
私:いきなり答えでもいいのだが、まずは、終助詞とはなんぞや、という事を考える必要がある。
君:つまりは、山田文法。ほほほ
私:その通り。山田文法。「ぜよ」は文末にしか置けないから終助詞である事には間違いが無い。要は、体言+終助詞という言い方が日本語として許されるのか、という国文法の命題だ。答えは断じて否。
君:用言、然も終止形、終助詞「ぜよ」が終止形に接続する場合は何ら問題無いわね。鰹のタタキだぜよ(形動)、おいしいぜよ(形シク)、うまいぜよ(形ク)、食うぜよ(他ハ四(他動詞ハ行四段))。
私:そう。東京語と変わらない。東京タワーは素敵だぜ、美しいぜ、高いぜ、さあ登るぜ。ところが田舎出が少し東京語に慣れたと思って「あれが東京タワーぜ」と言ってしまったらどうなる。
君:破顔爆笑。
私:その通り。命とり。お気の毒と言うしかないが、東京の連中に一生、笑われ続けるかも。彼らは残酷な生き物だ。
君:結論としては土佐方言文末詞「ぜよ」は終助詞につき、必ず先行成分は用言終止形であるべし、という事ね。
私:おっと、気を付けてくれ。言葉の歴史には出発点というものがある。
君:あら、御免遊ばせ。国語教師の私とした事が。複合助詞ね。「ぞえ」から「ぜえ」の形を経て。近世期に終助詞「ぜ」が成立したのよね。文末に於いて活用語の終止形に接し、話の内容について聞き手に念を押す、内輪の、ややぞんざいな気持ちの表現で、男性の会話に用いるのが普通だわ。従って土佐方言文末詞「ぜよ」は明らかに男性のみが用いる複合終助詞。しかも近世に成立した「ぜ」より新しい事すら明らか。つまり土佐方言「ぜよ」は近世語どころか近代語の可能性すらあるのだわ。
私:ははは、そうなんじゃぜな。わかってくれてありがとう。
君:いやん、バカ。飛騨方言では終助詞「ぜ」は寧ろ、女性らしい言い方なのよ。「ぜな」も「ぜ」の後に出来た複合助詞だから近代語の可能性が高いわね。
私:ははは、そうなんじゃぞ。わかってくれてありがとう。
君:いやん、左七なんか大嫌い。飛騨方言では終助詞「ぜ」は女子、「ぞ」は男子、の区別があるわね。
私:伝統的飛騨方言ではそんな感じだな。明治・昭和のおじいちゃんやおばあちゃん達。当サイトでは、このような豆知識をひたすら発信し続けている。ぶふっ
君:今日の結論としては、土佐方言、飛騨方言、東京語、三者ともに文法は全く同じという事ね。つまりは方言以前の問題で、「鰹のタタキぜよ」は日本語として失格という意味ね。言わば、単なる若者言葉で、単なる日本語の乱れ、という事だわね。ほほほ
私:国文法目線が正しいか、古典文法的解釈が正しいか、という命題でもある。
君:ほほほ、案外、高知市では普通に使われている用法かしらね。あなた、高知へ旅行し足らないわよ。またお行きなさいませ。ほほほ

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