純文学

天の夕顔 (中河与一新潮文庫)

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私:さあ読んだ。では、記事でも書くか。
妻:せっかくの休みに精が出るわね。
私:飛騨方言で「せだい・せで・せらい」などと言う。「精を出して」が語源だが、早く、の意味で使う。
妻:方言じゃなくて、純文学の記事じゃないの?
私:おっとそうだった。戦前の小説だよ。中河与一。でもあまり知られていない。ロマン派の小説だ。
妻:どうして、また?
私:実は、私の故郷、飛騨が舞台なんだ。泉鏡花の高野聖(こうやひじり)は天生峠(あもうとうげ)が舞台だが、飛騨が出てくる数少ない純文学だ。
妻:道理で。あなたはどうしても故郷に拘りがあるのね。
私:拘りというほどでもないが、せめて一度くらいは読んでおかないと。文学はね。実は飛騨市の山之村に「中河与一文学資料館」がある。
妻:山之村?・・知らないわ。
私:そうだね。でも神岡は知っているだろう。その少し北の部落だ。
妻:山深い、自然豊かなところのようね。白樺派のような小説かしら。
私:違う。不倫小説だ。でもないかな。純愛小説だ。ハーレクィーンロマンスだよ。初恋の人が忘れられず、生涯を棒に振る哀れな男の話。
妻:つまりは山之村に住み、都会の初恋の人を偲ぶのね。
私:初恋の人が忘れられない、男とはそういう生き物だ。
妻:人間とはそういう生き物かしら?
私:大学に入学した年の夏休みにゲーテの若きウェルテルの悩みを原著で自力で読破した。つまりはドイツ語を三か月でマスターしたんだよ。二つの小説のモチーフは同じだね。解剖学では9000個のラテン語を半年でマスターし、優の評価だった。
妻:あなたの語学力には脱帽、今もドイツ語のニュースを見るわね。
私:天の夕顔は六ケ国語に翻訳されるなど国際的な名作だそうだ。
妻:あらそうなの。人類とはそういう生き物、という事かしら。
私:その通り。トルストイのアンナ・カレーニナの世界だな。
妻:私はあなたの初恋の人じゃなくて残念だわ。
私:そんな事はない。君は、よし・この人と結婚しよう、と決めた私のたったひとりのフィアンセだった。
妻:それはお互い様でしょ。答えじゃないわ。私は気が付いたらあなたと結婚していたわ。ところであなたは中学時代のクラスメートの事を話してくれた事があったわね。
私:ああ、そうだった。同窓会で逢うたび複雑な気持ちになる事があった。恋愛は自由だが結婚が自由とは限らない。結婚の条件は生活基盤や周囲の理解等々、現実の直視が必要だが、恋愛はあくまでも自由。恋愛は片想い、結婚は両思いだ。
妻:あなた、同窓会で初恋の人に嫌われているわよ。
私:ははは、そんな事は無い。還暦を過ぎるとお互いに家族の話で盛り上る。携帯で孫の写真は勿論、家族写真を見せ合っている。ほら
妻:まあ、初恋のおかた、美人じゃないの。然も幸せそうなご家族写真で。あなた、悔しい思いね。ふられて、しかも幸せを見せつけられて。
私:ははは、違うな。好きだった人が今、幸せに暮らしている事が確認できた、という事だから、これ以上の満足感は無い。君も実は好きな人がいて、その中から僕を選んでくれたのか。いやぁ、嬉しいな。
妻:だから言ったでしょ。恋愛無し、気が付いたらあなたと結婚。気が付いたら母親。気が付いたら孫。気が付いたらモーパッサンなのよ。
私:脱線しているね。小説の話に戻ろう。実在のモデルがいた小説だ。無名に近いが同志社卒の小説家・不二樹浩三郎冷たき地上: 【附】不二樹浩三郎『天の夕顔』を語る平成二年四月十四日、神奈川県で、その浪漫に満ちた生涯を閉じる。享年九十三歳。彼が生涯、愛した女性も実在だったという事。つまりは「天の夕顔」は小説ではなくドキュメンタリーに近い。不二樹浩三郎の碑〒506-1104 岐阜県飛騨市神岡町森茂はグーグルマップで検索可能だ。地元の有志がお建てになった。
妻:つまり、あなたは神岡町山之村と神岡町森茂の二か所、この二か所へオートバイでぶらりと訪れたいんでしょ。
私:そうだね。聖地巡礼というところかな。神岡という町は。
妻:あらおかしいわよ。山之村も森茂も、町から離れて山の中でしょ。どうして神岡の町が聖地巡礼なの?
私:・・不二樹浩三郎は生活物資を調達しに神岡の町に時々は立ち寄ったのじゃないかな。
妻:あなたが言葉につまるという事は、つまりは小説にはそんな事は書かれていないという事なのよ。なにかおかしい。
私:さすが君だ。世界の推理小説で読まなかったものは無いのだったね。僕は君のその推理眼が大好きだ。
妻:おだてないで。ふふっ、その言い方、ますます不自然ね。小説に触発されて実はあなたは神岡の町に特別な思いをいだく。若しかして初恋の人がもうひとりいらして神岡の町と関係あるわね。今は都会のそのお方を偲ぶ。だから聖地巡礼。これは女の直感よ。

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