恋の空回り
ここ数日、の様子がおかしい。
新八や神楽に指摘される間でもなく、そんな事は銀時も気が付いていたし、とっくに問い質してもいた。
だがは慌てたように「何でもない」と首を振るばかり。
こうと決めたら、梃子でも動かないのだ。まったく、万事屋に関わる人間は、誰も彼もが頑なで困る。などと、自分の事を棚に上げて銀時は思う。
様子を窺う限り、どうやら急を要する事態に巻き込まれている訳ではないだろう。しばらくはそっとしておこうかと、時間の経過に解決を委ねた、その矢先だった。
「アレは、恋してる女の目アル」
女の勘ネ! と自信たっぷりに言う神楽のその言葉を間に受けた訳ではない。
しかし言われてみれば確かに、の様子は何か悩みを抱えているというのとは少し違う。心ここに在らずといった様子で、どこかの誰かに思いを馳せているのだと言われれば、それはそれで納得の行く結論ではある。
―――いや、納得などできるはずもない。一体いつの間に、どこの馬の骨がの心を奪っていったのか。銀時にしてみれば堪ったものではない。
そもそもは、買物先で神楽がと出会った事が始まりだった。そこから何がどうなったか、が万事屋にやってきて食事を作るようになり、いつの間にか掃除洗濯までやるようになり―――勿論、毎日ではないが、それでもいつの間にかが万事屋に、そして銀時にとって欠かせない存在となっていたのは確かだ。
それなのに今、目の前でが見も知らぬ男に掻っ攫われようとしている。これを黙って見過ごしていていいものか。いや、断固として阻止すべきだ。
となれば、まずは相手の男がどんな人間かを知る必要がある。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。それが恋愛沙汰において適用されるかどうかはさておいて、恋敵がどんな相手なのかわからなければ、どんな手を打てば良いのかもわからない。
「銀さんに勝ち目あると思う?」
「シッ! 当たって砕けさせないと、銀ちゃんはわからないアルヨ」
憐れむような二人の言葉は無視して、銀時は翌日から早速行動を開始した。行動と言っても、を尾行するだけだ。
普段は低血圧を理由に惰眠を貪る朝だが、この日に限っては飛び起きていそいそと支度し、向かう先はの家。の帰りが遅くなった際に一度だけ送って行った事があるのだが、まさかそれがこんな事で役に立つとは思わなかった。褒められた話ではないが、状況が状況だけに手段など選ぶ余裕は銀時には無い。
物陰からこっそりとの家を窺う。傍から見ればこれは変質者、ストーカーの類だと指さされ警察を呼ばれてもおかしくない状況だが、それを銀時が自覚するよりも早く、が玄関を開けて現れる。朝の太陽を受けて眩しげに目を細めながら、それでも笑みを零すのその表情に、『早起きは三文の得』とはこの事なのかと銀時は理解した。三文の得どころではない、プライスレスの価値だ。
てくてくと歩き始めたのその後ろ姿を、銀時はこっそりと追っていく。いつ通報されてもおかしくない不審者ぶりだったが、逆にあからさま過ぎたのが功を奏したのか、実際にお縄を頂戴する羽目に陥る事はなかった。だが銀時自身は、これがストーカー行為になりうるとは露とも思っていない。あくまでの想い人を突き止めるためであって、そこに犯罪性が生じようとはまるで思い至っていないのだ。
最初にが向かったのは、仕事先でもある喫茶店。もしかしたら相手は店の客だろうか。そう思って目を皿のようにして物陰から店を見張ること、8時間。店内の様子に変わりはなく、また仕事を終えて店から出てきたの様子も普段通りだった。銀時にしてみれば肩透かしを食らった形となる。
が男と出会うとして、可能性として一番高いのはやはり不特定多数の人間が出入りする職場だろう。だがそうなると、毎日来店するとは限らず、ならばそれらしき人物が現れるまで毎日見張らなければならないのかと思うと、気が遠くなるようだ。別に義務でも何でもないはずなのだが、銀時にとってこれは何よりも優先すべき事項なのだ。
頭を抱えたくなりながら、それでも銀時はの後を追う。今度向かった先はスーパー。夕飯の材料の買い込みだろうか。今夜は何を作ってくれるのだろうか。手料理を振舞われているということで誰にともなく優越感に浸っていた銀時だが、よく考えてみれば切っ掛けは神楽なのであり、にとっては銀時は神楽のついでだったのかもしれない。そう思えば、ささやかな優越感はあっという間に萎んでしまう。何とも厄介なのは恋心。
スーパーでも取り立てて何がある訳でもなく、精算を済ませるとはスーパーを出る。やはりそれを追う銀時だったが、スーパーを出てしばらくして、ふと違和感に気がついた。
今、が歩いている道。これは、万事屋へ向かう道でもなければ、の家へと戻る道でもない。
それに気づいた瞬間、緩みかけていた気が一気に引き締まる。
勿論、何か用事が別にあるのかもしれない。だが、もしかしたら―――もしかしたらこの先に、の想い人がいるのかもしれない。一度そう思ってしまえば、心なしかは早足になっているような気さえする。想い人のところへと向かうのに、気が急いているせいだと思う事もできて、ますます銀時は己の直感を確信した。
のだが。
「―――男の直感なんてのはアテになんねェよな……」
の目的地と思しき場所で、銀時は脱力していた。
目の前の店に掲げてあるのは『からくり堂』の看板。銀時にはすっかり馴染みの機械技師、源外の店だ。
いそいそとが店内に入っていくのを確認したのはいいものの、この店に若い男などいるはずもなく、かと言ってまさか源外がの想い人だなどという落ちがあろうはずがない。いくらなんでもそれは無い。
とんだ無駄足だったかと気落ちする一方、の想い人とやらの顔を見ずに済んでホッと安堵している自身がいることにも銀時は気付いていた。わかっていてもやはり、現実を目の前に突きつけられる事には二の足を踏んでしまう。
さてこれからどうするかと迷っている間に、用事を済ませたらしいが店内から出てくる。反射的に足を踏み出したのはきっと、少しでもを独占していたいという欲求の表れだったに違いない。
「あれ? 銀ちゃん!」
「よお。さっき、源外のジィさんの店に入ってくのが見えてな」
嘘ではない。偶然を装っているだけで、嘘を口にしている訳ではない。
元より自身が疑うつもりもないのだから、「そうなんだ」とその一言で銀時の存在はあっさりと受け入れられた。
お夕飯作るの遅くなっちゃうね、ごめんね。と謝るだが、作ってもらっている身の上で文句などあるはずもない。それにの手料理を食べるためならば、夕飯がたとえ深夜になろうとも早朝になろうとも、まったく構いはしないのだ。
流石にそこまで言っては告白しているも同然だから口にはしないが、銀時の心持としては大袈裟でなくそんなところだ。
の想い人とやらは勿論気になるが、それでも今は、と二人並んで家路へとつける幸せを噛みしめよう。そんなことを考えながらちらりとに目をやると、不意に目が合ってにこりと微笑まれたのだから胸が高鳴る。
神楽の『女の勘』などアテにならないのではないか、いっそ想い人というのは自分のことではないのか。そんな都合のいい思考が脳裏を占めるが、現実はそれほど甘くはないと銀時は知っている。けれども、わかっていても期待せずにいられないのが、人間という生き物だ。
そんな銀時の期待など知らず、はにこにこと笑いながら話しかけてくる。単なる知人友人程度にしか思っていない男相手にそんな華のような笑顔を向けないでほしいという願いは、銀時の身勝手な要望にすぎない。
「―――でね。たまさんも風邪ひくんだなぁ、ってびっくりしちゃって。でもたまさんのこと、内側でちゃんと守ってくれる人がいるんだね」
「なに、お前、ヤツのこと知ってんの?」
「白血球王さんのこと? うん。この前、源外さんに頼まれてセキュリティソフト届けに行った時に、モニター越しにお話して、それで―――」
途端、頬を染めたに、銀時は嫌な予感を覚えた。予感どころでなく確信に近かったが、それだけは認めまいと全力で抗う自分が内にいるのだ。
ありえるはずがない。いや、あっていいはずがない。相手は人間ではない、ただのセキュリティプログラムなのだ。確かに共に戦ったこともあるが、あくまでプログラム。実在する人物・団体とは一切関係ありません、な存在だ。
そんなものに、の心を奪われるなんて馬鹿げた話があっていいはずが―――
「―――どうしよう、銀ちゃん……私、その……白血球王さんのこと、好きに…なっちゃった、の……」
いいはずが、無い筈だというのに―――
「の唯一の欠点は、男の趣味が悪いことアルネ」
「それは否定はしないけど……」
新八が向ける複雑な視線に、しかし銀時が気付く事はない。
恥じらいながらが落とした爆弾発言は、銀時に対しクリティカルヒットとなった。痛恨の一撃だった。
嘘だ! と叫びたかったが、堰を切ったように話しだしたの瞳は、女の勘などなくてもそれが『恋する女の目』だとわかるほどに輝いていた。動かぬ証拠が目の前にあっては、何も否定できない。ちなみに話の内容は、あまりの衝撃故に右から左、まったく覚えていない。どのみち銀時にとって愉快な話でないことだけは確かだ。
以来、銀時は抜け殻になったかのように、四六時中机に突っ伏している。どうせ仕事など無いから構いはしないが、仮に仕事が舞い込んできたとしても、この状態では何もできないだろう。
気持ちはわからないでもない。よりによって、の想い人があの白血球王。彼はセキュリティプログラムであり、人間ではない。そのくせ銀時と同じ顔で、まぜるな危険で、頼りにはなるがどこか抜けていて―――同じだからこそ、現実には存在しないプログラムに負けたことが堪えているのだろう。
生ける屍となった銀時には、最早かける言葉も見つからない。
「でも、銀ちゃんなんかに引っ掛からなかっただけマシアルな」
「実害は無いからね、一応」
の身のためには、これで良かったのかもしれない。いや、良かったことにしておこう。
何かが間違っている事には敢えて気付かない振りをして、新八も神楽も日常へと戻る。銀時を置いて。
世の中は概ね、平和である。
<終>
だって白血球王かっこいいじゃないですか!
と、それを主張したかっただけです。
本当は白血球王も出したかったですが、収拾つかなくなりそうでやめました。いつかチャレンジしたいなぁ……
('09.07.18 up)
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