magnet 5



 
痛みは不思議と感じなかった。
ただ、自分の身体なのに、何もかもが覚束ない。身体を貫いた刀の冷たく固い感触だけが、やけにリアルだった。
捕えられてからのことは、記憶に霞がかっているかのように何もかもが曖昧だ。だが、そんな中でもどこか遠くから聞こえてきた声。駆け寄りたいと思った。抱きしめてほしいと望んだ。
そして靄が晴れた時には身体が勝手に動いていた。
何故ここにいるのかとは、考える暇もなかった。そして、そんな理由の追求は酷くどうでもいいことなのだと今はぼんやりと思う。
大事なものは、目の前に。
 
「晋、助……」
 
もう会えないと思っていた。全てが明るみに出たとわかった瞬間、何もかもを諦めたと言うのに。
それでも今、高杉が目の前にいる。理由など何でも良かった。
押さえ込んでいた思いが、堰を切ったように溢れ出す。止めることなどできなかった。
奥が貼りついたように自由にならない喉から、懸命に言葉を紡ぎだす。どうしても伝えたい事が、ある。
 
「会いた、かった……」
 
判然としない意識の中で、ただそれだけを望んでいたように思う。
記憶は変わらず霞がかってはいても、思いは覚えている。心に、魂に刻み込まれた想い。望んではならないと諦めていたからこその、それは切なる願いだった。
 
「晋助……会いたかったの…ありがと…来てくれ、た……」
 
手を伸ばせば届く距離にいることが嬉しくてならなかった。
思うように動かない身体に鞭打ち、ゆっくりと手を伸ばす。この手を取ってほしい。拒絶しないで。掴んで、引き寄せてほしい。そんな思いを込めて。今この瞬間、矜持も何も関係なかった。
あるのはただ、愛しくてたまらない、その思いのみ。
途端、ずるりと身体の内部から何かが抜け落ちる。同時に倒れ込む身体。自力では立っていられない事実に、はようやく現状を悟った。
優しく抱き止められた身体は、しかしその優しさとは裏腹に強く強く抱き締められる。
同じくらいに抱き締め返したいのに、どうやらその力も残っていないらしい。縋るようにしがみつくのが精々だ。そのことに、胸が締め付けられるように痛む。
 
っ、…っ!」
「晋助……」
 
切羽詰まったように幾度も繰り返し呼ばれる名前。
悲愴感すら漂う声音に、残された時間が僅かしか無いことを知る。
―――後悔はしないつもりだったのに。
全て納得した上で今に至ると言うのに。
それでもの胸の内に過るのは間違いなく後悔だった。
何故もっと早く手を伸ばさなかったのだろう。今ならわかる。矜持も何もかもを捨てたところで惜しくはない。ただ共にありたい。突き詰めた先にある思いはそれだけだ。
怖かったのかもしれない。これまで自分が積み上げてきたものを手放すことが。
信じきれなかったのかもしれない。伸ばした手を掴んでもらえないのではと。
結局は自分が楽な方へと逃げていただけなのか。
全てを世間のせいにして。自分の弱さを見ないようにして。
逃げて逃げて、辿り着いた先がここなのか。
 
「ごめ…なさい……ごめん、なさ……」
 
今更気付いたところで、もはや取り返しなどつかない。
何に対して謝ればいいのか。次第にそれすらも判別できなくなる。思考が紡げなくなる。
ただ感じる、温もり。そして。
 
「ごめん、ね…晋、助……」
 
力を振り絞って上げた視線の先には、頬を濡らす男の姿。
似つかわしくないその表情。けれどもそんな顔をさせているのが他ならぬ自分だということが堪らなく口惜しかった。
ゆっくりとその頬へと手を伸ばす。そっと触れた先は、濡れてはいたがそれでも確かに温かかった。
濡れた隻眼に見つめられ、ああ、とは笑みをこぼす。
たとえ利己的と言われようとも、会えて嬉しくてならないのだ。その目に映るのが自分だけだというのがたまらなく幸せに思える。
痛いほどに抱き締められれば呼吸もままならない。けれども苦しくはない。
むしろ感じる温もりと心地好さに身を委ね、はゆっくりと目蓋を下ろした。




<終>



タイトルそのまま、「magnet」とか「magnet・フリーダム」をエンドレスで聞いていたら浮かんだネタです。
書き逃げさせてください。本当。すみません。

('09.10.25 up)