きっと己は、ただ自惚れていたのだろう。
理屈も根拠もなく。
それが当然のことであるかのように錯覚していただけなのか。
「なんか彼氏? にプロポーズされちゃったんだけど。どうしたらいいと思う?」
小首を傾げて尋ねてくる幼馴染に、高杉こそが「どうしたらいい?」と問いかけたい気分だった。
悲喜劇交々待ったなし
「晋助?」
不思議そうに呼びかけてくるその表情に、まったくもって邪気は感じられない。
つまりこれは本気なのだ。本気で、尋ねてきている。
わかった瞬間、高杉は頭を抱えたくなった。頭痛がするのは気のせいなどではない。
あまりにも巫山戯きった状況だ。できることならば夢で終わることを願いたいところだが、哀しいかな、これは現実の出来事に他ならない。
に彼氏がいるなどとは、初耳だ。そんな気配など、今まで微塵も感じたことがない。
感じるも何も、は自分と付き合っているものだと信じて疑っていなかったというのが正直なところだ。今となっては勘違いも甚だしく、穴があったら入り込みたい気分だ。
確かに、好きだと言ったわけではない。言われたわけでもない。
けれども、週に一度は転がり込んできては何をするでもなく帰っていくに、漠然とそんな思いを抱いたとしても、それは致し方ないことだろう。
そう自身を正当化してみるが、それで現実が変わるわけではない。
現実はあくまで無情。には男がいるのだ。しかも求婚してくるような男が。
今ならば、比喩表現などではなく江戸の町に火を放てそうだと高杉は真剣に思った。それで見も知らぬの彼氏とやらを消せると言うのならば、何を躊躇う必要があるだろう。
「どうかしたの、晋助? お腹でも壊した?」
「何でもねェよ」
的外れなようでいて、案外そうでもないの言葉を、我に返った高杉は受け流す。
確かにの爆弾発言は、消化不良や食あたりを引き起こしてくれそうな類だ。ただしこの場合、壊れるのは腹ではなく脳や神経だろうが。
原因である当の本人には勿論、そんなつもりは一切合切無い。それがわかっているから、この絶望感だとか疲労感だとか、諸々の思いが綯い交ぜになった負の感情を押し付けるわけにもいかない。
確かに思わせぶりな行動をとったに責を押し付けたいのは山々だが、勝手に意味を取り違え思い込んでいたのは高杉なのだ。騒いだところで道化以外の何物でもない。
高杉のいつにない様子に、流石に不審に思ったのだろう。は首を傾げたまま「本当に?」と再度問いかけてくる。
しかしそれよりも自身の悩みが重要だと判断したのか。今度は高杉の返事を待とうとはしなかった。
「それで、私どうしたらいいと思う?」
「好きにしろよ」
まさにそうとしか言いようがない。
結婚するかしないかの判断を他人に委ねる方が間違っている。しかも相手が失恋したての男ならば尚更だ。相談するにしたところで相手を間違えている。
だがはその返答が気に入らないようで、不満そうに頬を膨らませている。
できることならば高杉とて、結婚なんかするなとでも言ってやりたい。しかしその理由を問われたならば、道化振りを晒すしかない。
それにの幸せを思うならば、少なくとも自分より他の男を選ばせてやるべきなのだろう。だがそうは思ってもそれを勧める気には流石になれず。
結局、「好きにしろ」としか口に出すことができないのだ。
不平不満など、むしろ高杉の方こそ言い募りたい。無防備に男の元へ転がり込むな、思わせぶりな行動をとるな、誤解させるな―――はっきりさせてこなかった高杉にも非があると言われれば、それはその通りでしかないのだが。
ともあれ、それ以上の事を言ってやるつもりはない。そのまま口を噤めば、意図は伝わったのだろう。が盛大な溜息をついた。
「晋助のけちー。相談くらいのってくれてもいいじゃない」
「それくらい自分で決めやがれ」
「だってー。昨日まで、彼氏だなんて思ってなかったのに。いきなりプロポーズされて、恋人だから当然みたいなこと言われたんだもん。もうわけわかんない」
「…………ワケわからねェのは俺の方だ」
最早頭痛どころの話ではない。
一先ずわかったことは、どうやらが他の男相手にも思わせぶりな態度をとるか何かしていたということくらいだ。この調子では、他にもそんな男がいるのかもしれない。
それが無自覚の行為であろうことはわかる。高杉の知るは、男を何人も手玉に取って楽しむような性格はしていない。全員が全員、にとっては単なる「オトモダチ」でしかないだろう。高杉自身も含めて。
いや、高杉には一応「幼馴染」という肩書もついてはくるが、しかしその肩書が一体何の役に立つのかは甚だ疑問だ。態のいい相談相手くらいの意味しかなさそうだ。
「えー? 晋助だけが頼りなのに。だって私よりも晋助の方が、私のことよくわかってるんだから」
「わかってねーよ」
「で、どうしたらいいの?」
「だから俺に聞くな」
しかし冷たくあしらったところで、が引き下がる気配は無い。
これは、何が何でも答えを聞くまで帰らないに違いない。
けれども高杉にも返すべき言葉が無いものだから、自然と落ちる沈黙の中、「あー」だの「うー」だの、が呻く声だけが室内に響く。
「……女の子って、愛するより愛される方が幸せになれるって、誰か言ってたよね」
「知らねーよ」
「誰かに好かれるのって、確かに嬉しいし……」
一人で呟いて勝手に納得したかのように頷いているの姿に、高杉は平静を装って知らぬ振りを決め込んでいたが、心中は穏やかとは程遠い。
その言葉が本音なのだとしたら、好いてくれる相手ならば誰でもいいということになりはしないか。
それではあまりにも適当ではないか。もっと真剣に考えろと言ってやるべきか。
―――いや。本当に口に出したいのは、そんな事ではない。
だが、道化にしかならないことを承知の上で口にできるかと言えば、答えは否だ。自ら道化になる趣味は、高杉には無い。
本心を押し殺して自尊心を守る事はできる。しかしそれはただそれだけだ。本当にそれでいいのか。
「ん……よし、決めた! ありがとね、晋助」
「っ!?」
高杉の自問が終わらぬ内に、は自己完結したらしい。すっきりとした表情で立ち上がる。
それはいつもと何ら変わりのない所作。変わらぬ笑顔で暇を告げて、いつものように背を向けて―――
―――このままが、自分の前から消えてしまうのではないか。もうやって来ることはないのではないか。
馬鹿らしいともとれる思考が過ったのは一瞬。
しかしその一瞬が、身体を突き動かしていた。
「行くんじゃねェよ」
「へ?」
「他のヤローのところになんか、行くんじゃねェ」
「晋、助…?」
衝動のまま、を後ろから抱きしめる。
道化にしかならなくとも、何もしないまま失うよりは余程マシだ。
戸惑ったように名を呼ぶその声音からは、の心情を窺い知ることはできない。ただ手放したくなくて、更に強くその身体を抱きすくめる。
他の男の元になどなど行かせたくなかった。
愛されていればいいというのならば、自分でも構わないでもないか。
思っていたよりも小さな身体は、腕の中に身じろぎすることもなく収まっている。
の意図するところが知れず、ただ時間ばかりが流れていく。実際には然程の時間は経過していなかっただろう。けれども高杉にとっては酷く長い沈黙が下りたようにも感じられた。
「―――なんか、わかっちゃった」
ぽつりと落とされたの言葉が、沈黙を破る。
何がわかったのかと疑問に思うよりも先に、が顔だけを振り向かせた。
そこに拒絶や嫌悪感は表れていない。それは、腕の中から逃げ出す素振りを見せないことからも判断できるが、果たしてその真意はどこにあるのか。
躊躇い無く真っ直ぐに見つめてくる両の瞳。
一呼吸置いて、が口を開く。
「私、晋助のことが好きみたい」
満面の笑みを浮かべたその顔は、実に晴れ晴れとしていた。まるで痞えていたものが取れたかのように。
それを見た瞬間、どっと疲れが押し寄せてきたかのように力が抜けそうになる。
支えを求めるようにの身体を抱く腕に力を込めれば、体重を受け止めきれないのかがたたらを踏む。が、だからと言って離してやるつもりは毛頭無い。
腕の中に閉じ込めたまま、溜息と同時に疲れ切った声を漏らす。
「気付くのが遅ェんだよ」
<終>
後ろからぎゅってされるのっていいよね。って話。
('09.11.28 up)
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