人世一夜に人見頃
草木も眠る丑三つ時。
そんな言葉が罷り通ったのは一体いつの時代だと言うのか。
陽が沈めば煌々と街を照らす灯りに、草木もおちおちと眠ってなどいられないだろう。
それは人間も同じことで、夜であろうとも休む時間であろうとも、構うことなく起きている羽目になっている。
大概のところその理由は、日中に片づけることのできなかった仕事の後始末であったりするのだが。
それを思うと溜息しか出てこないのだが、それでも土方は目の前の仕事を黙々と片付ける。
上に下にと問題児を抱える組織にあっては、誰かがこういった雑務をこなさなければならないのだ。
と、その時。廊下を踏み鳴らす足音が聞こえ、土方は深々と溜息を吐いた。
その足音の主には、心当たりがありすぎるほどにある。
時間帯と周囲への配慮を一切考慮しない、無遠慮な足音。気遣いなど思慮外なのだろう。第一、彼女に思慮というものが一欠片でもあったならば、今頃目の前の仕事はとっくに片付いているに違いない。
天上天下唯我独尊。世界は自分を中心に回っていると豪語して憚らない彼女はつまり、自分の目的を達成させるためならば他の何を犠牲にしたところで気にも留めないのだ。
「副長。まだ仕事してるんですか。そんなに仕事好きなんですか。変人通り越して変態ですね」
カラリと障子が開いたかと思えば、途端にこれだ。
色々と言ってやりたくなったが、言ったところで無駄だと土方は言葉を飲み込む。ただ一つ、「せめて入る前に一声かけろ」と常識を説いてはみたが、どれほど効果があるだろうか。
部屋に入ってきたのは、。真選組隊士の紅一点―――と言えば聞こえはいいが、要は沖田と並ぶただの破壊者だ。大事の前に些少の犠牲は致し方ないとは思うが、しかしこの二人の場合はその度が過ぎている。そしてその後始末をする羽目になるのが土方なのだ。
そのがこんな夜更けに一体何の用なのか。どうせろくでもない用事に決まっている。いや、そもそも「用事」という言い方が正確かどうかも怪しいところだ。
しかし、だからと言って無視するわけにはいかない。そんなことをしようものなら、どんな報復をされるかわかったものではない。
仕方なく―――本当に仕方なく、土方は書類から顔を上げる。その分だけ仕事が遅れ、睡眠時間が減る。その事実を胸中で嘆きながら、振り向いたその先には。
「はい、副長。あーん」
「―――っ!?」
咄嗟に口を開けてしまったのは、我ながら間が抜けていたと思う。
差し出された、というよりも口の中に押し込まれたものは、甘い甘い、どこまでも甘ったるい、そして柔らかな何か。
ごくりと思わず飲み込んだ視線の先には、してやったりと笑みを浮かべるの顔。そしてその手にはフォークと、ショートケーキの乗った皿。
何を食べさせられたのかは、一目瞭然だった。
「てめェな……」
「お誕生日はケーキって、相場が決まってるじゃないですか」
だから、ハイ。と。
再度ケーキを差し出され、そういえばとようやく気付く。
草木も眠る丑三つ時。日付も変わった今は、5月5日。すなわち、土方の誕生日。
だからと言って、そこに特別な意味が存在している訳ではない。ただ一つ、年を重ねただけだ。少なくとも土方にとっては。
本当に、ただそれだけの事なのだから、ケーキを差し出される筋合は全くない。しかもフォークを手に「あーん」などとされる筋合もない。そこで色恋沙汰を想起するよりも先に、毒でも仕込まれているのではないかと案じずにいられないのが、のたる所以だ。仮に毒が盛られていたとして、すでに一口食べてしまっているのだから、抵抗は無意味なのかもしれないが。
それでも、この状況は何かがおかしいと思わずにはいられない。
誕生日にはケーキ。その理論は、まぁわからないでもない。世間一般的には確かに、誕生日を祝うとなれば必然的にケーキが出てくるだろう。
問題はの行動だ。何がどうなったら、フォークを差し出して「あーん」なのか。それはてめェのキャラでやっていい行為じゃねェだろ、とツッコんでやりたいくらいだ。
しかしこの状況に混乱している間にも、はケーキを差し出し、半ば強引に土方の口の中へと押し込んでくる。そしてそれを反射的に飲み込んで。
そんな行為を幾度か繰り返した頃にはようやく土方も我に返っていたが、が手にしている皿の上も見事に空になっていた。
「お誕生日おめでとうございます。副長」
「あ、あァ…………ありがと、な」
にこりと微笑んで祝いの言葉を口にするに毒気を抜かれ、土方も思わず素直に例を口にしていた。
一体全体、何をしたかったのか。そんな問い掛けをする気にもなれない。
何か裏があるのだろう。あるに決まっている。そう警鐘を鳴らす理性が煩くてならない。多分それはその通りで、が何の魂胆もなく誕生日を祝ってみせるなど、ありえるはずがないと思う。
思っていてもしかし、無言でじっと見つめられると、理性とは裏腹に、普段とは何かが違うと直感が訴えてくる。
理性と直感。どちらを信じるべきか。
「……別に心配しなくても。毒なんか入れてませんよ」
まるで土方の心境を読んだかのように、困ったような笑みを浮かべてがそんなことを言う。
おそらくは自身の普段の行動を踏まえた上での言葉だろう。そしてそれは、あながち間違ってはいない。
他人を困らせているという自覚があるのならば、普段から弁えてほしいものだと、やや場違いなことを考えたのは、或いは一種の現実逃避なのかもしれない。
何と返答してよいのやら、土方の方こそ困惑している内にも、が腰を下ろしたまま、すいとにじり寄ってくる。
「ただ……イベントにかこつけなくちゃ、こんなことできない、ですから」
その真意は、土方には推し量ることができない。
普段が普段だからこそ、未だに何の冗談か、タチの悪い悪戯ではないかと思わずにいられない。むしろ、そうであってほしいと願わずにいられない。その方がよほど対処方法に困らないというものだ。
けれどもの表情は、冗談など微塵も感じさせない。
至極真剣な表情など、今までどれだけお目にかかったろうか。頬を染め、切なげに揺れる瞳に魅入られたように、体も思考も動かない。ただただ、が近づいてくるのを黙って見ているしかなかった。
だから、反応できなかったのだ。
「―――っ! やっぱダメぇっ!! 恥ずかしすぎぃぃっ!!!」
「ぅがっ!!?」
―――それまでの雰囲気は何だったのかと、後々まで土方が嘆くほどの唐突さだった。
悲鳴とともに、突如として顎を襲った衝撃。落ち着いてから、あれはにアッパーカットを食らわされたのだと気付くが、その時は何が何やら訳がわからなかった。そもそも、が部屋に現れてから、意味がわかった行為など何一つとして無かったが。
まるで身構えていなかったものだから、受けた衝撃の勢いのままに後ろへと倒れ込む。そして言葉もなく痛みに呻いている間に、バタバタと騒々しい足音が部屋の外へと消えていった。どうやらが逃げ出していったらしい。
痛む顎を擦りながら土方がようやく身を起こした時には、当然ながらの姿はどこにもない。開け放たれたままの障子が、の動揺ぶりを示しているようでもあった。
部屋に残されたのは、空になった皿。そしてフォーク。
それを目にした途端、先程のの表情が脳裏に浮かぶ。一人前の女らしくそんな顔ができるのかとからかう事ができれば、どれほど良かったことか。
しかし、からかうには、その表情はあまりにも真剣で。本気だとしか思えなくて。
あまりにもには不釣り合いな態度。殴られて安堵した、などと言ってしまえばおかしいかもしれないが、そちらの方がよほどらしい。でなければ、我に返ることもできなかっただろう。
がどこまで本気なのか、土方にはわからない。或いは、すべて狂言であり、結局はからかわれていただけというオチなのかもしれない。その方が精神衛生上は楽だということはさておいて。
今の土方にわかることは、ただ一つ。
少なくとも今の心境で、仕事の続きなどできそうにはない。そのことだけであった。
<終>
どうにも中途半端な関係って、好きです。もどかしいのがいい(笑)
('10.05.05 up)
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