赤。


赫。


紅。


終わることのない、唯一色のこの世界。
 
 
 
 

無限円環

 
 
 
 
目の前に広がる夥しい赤色。
色鮮やかなそれに反するように、立ち込める臭いに胃が締め付けられ、吐き気が身体の奥から込み上げる。
しかし耐えきれずに嘔吐したところで、出たのは胃液のみ。中身はとっくに吐き出した後だ。
もう、何度目か。
咳き込むことで生理的に浮かんだ涙がの頬を伝う。どうやら涙は涸れていないらしい。いっそこちらも涸れてしまえばいいのに、と覚束ない思考ではぼんやりと思う。
後ろ手に縛られていては、それを拭うこともできないのだから。

気持ち悪い気持ち悪い気持ちワルイキモチワルイ。

ぐるぐると頭の中を巡るその思考にすら酔いそうだ。
眩暈で霞む視界に、いっそ気を失えたら楽なのだろうかとは思う。
堪え切れない吐き気に茫洋とする意識。手放そうとするのを見計らったかのように、頭上から声が降る。



低く落ち着いたその声音に、ビクリと身体が震え、薄らいでいた意識が現実へと引き戻される。
この状況にそぐわないその声は、本来であればこの名を呼ぶはずのないもの―――少なくとも自身は、そう思っていた。いや、思うことすら無かったというのに。
のろのろと顔を上げれば、昏い光を湛える瞳がこちらを見据えていた。
それは同時に、狂気を孕んだ瞳。ゾクリと、背中に震えが走る。

「まだ、俺のことを好きにならないか?」

前に立つのは高杉晋助。
過激派攘夷浪士である彼と真選組隊士であるの関係など、敵以外の何物でもなかったはずだ。
ならばこの状況は一体何の冗談なのかと叫び出したくなる。
だが、今のには叫ぶ気力もない。
自分を見下ろす隻眼を虚ろな眼で見上げるしか、できない。

「どうすれば、お前は俺に惚れるんだ?」

この問いは一体幾度繰り返されただろう。
答えなど、は持たない。持つはずもない。
敵意しか持ち得なかった相手に、掌を返すかのように好意を抱くなど、にとってはありえない。
しかも、周囲の惨状を築き上げた張本人が相手となれば。
の頬を濡らす涙を拭うその指は、意外なまでに優しく、温かい。
けれども。

「あァ、汚したな」

悪かったな、と口にした謝罪の言葉に誠意はあるのだろうか。
赤く染まるその手に、何を信じろと言うのだろうか。
の頬を汚した紅。それは高杉のものでもなければ、勿論自身のものでもない。
周囲に広がる夥しい赤色と同じ―――仲間の、血だ。
あちこちに倒れ伏す仲間は、無言で血の海に沈んでいる。見慣れた姿は無残にも切り刻まれて赤く染まり、見慣れない姿へと変わり果てていた。
昨日まで、当たり前のように会話していたのに。笑いあっていたのに。
立場上、常に『死』は覚悟していた。敵と斬り合った末の死ならば、まだ諦めもついたろう。
しかしこれは。
を振り向かせたいからと、そんな理由で周囲の人間を斬り捨てるなど、理不尽を通り越して狂気の沙汰としか言えない。
そんな相手に愛の言葉など囁けるはずもなく、むしろ口にしたいのは罵声以外の何物でもない。
けれども喉はすでに枯れ果て、詰る言葉一つ満足に舌に乗せることも叶わない。
自分がこんなにも無力だったとは思ってもみなかった。縋るように仲間に目を向けても、彼らが応えてくれることは最早ない。
応えるのは、ただ一人。
ぶすり、と嫌な音を立てて高杉が刀を突き立てたのは、目の前に倒れていた仲間の一人。とうに事切れていたその身体は、どんな反応を示すこともない。何の意味もないその行為は、死者を嬲るだけでしかない。
それでも今のは、止める手立ても懇願するための言葉も持ち合わせていない。茫然と見ているしかできず、ただ涙だけが溢れ出る。

―――そうか。誰もいなくなれば、俺に頼るしかねェよな?」

歪んだ笑みと共に発されたその声は酷く愉しそうでもあり、真摯でもあり。
だが本気だということだけは間違いなかった。
引き抜いた刀から滴り落ちる血。
刃毀れと血糊で使い物にならないと思えるその刀は、それでも高杉が手にしているだけで、新たな犠牲者の山を築きあげるのだろうと容易く想像がつく。
その新たな犠牲者とは。
この場にはいない、大切な―――
 
―――っ!!?」

声にならない悲鳴が、空気を震わせた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハッと。
開いた目に覚醒した意識。
今までのものが夢であったことをは悟る。
夢にしてはあまりにもリアルで生々しく。動悸は未だ激しく胸を打つ。
けれども安堵は束の間でしかなかった。
鼻につく錆びた鉄の臭い。
視界の隅に入る紅。
自由にならない身体。
そして。

―――

頭上から呼ばれる名前。
酷く愉しそうにも、真摯にも聞こえる、その声音。
それは、を絶望へと叩き落とす声。



全てが緋に染まる。



終わることのない、唯一色のこの世界。



<終>



病んでるのも良いよね。とか何とか。
でもヤンデレは二次元限定で。

('10.08.28 up)