愛し貴方へ



大江戸ストアの前に、人だかり。
そんな光景を目にして、見廻り中の沖田は首をかしげた。
が、すぐに納得したように手を打つ。
店の表に大々的に書かれているのは「2/14 St.Valentine's Day」の文字。
一体どこから広まったのか。2月14日には、女が好きな男にチョコレートを贈るという行事が、いつの間にか定着していた。
沖田にしてみれば、そのような『行事』という後押しが無ければ告白できない程度の想いなど、たかが知れていると思うのだが。
しかし、そう考える沖田はごくごく少数派のようだ。
この時期、世間には、チョコを買い求める女と、そのチョコを求めてそわそわする男で溢れている。
まったくもって馬鹿らしい。
だが、大江戸ストアの前を素通りしようとした沖田の目に、次の瞬間、見慣れた背中が映った。
 
……?」
 
それは、真選組屯所で賄い方として働いている、の背中だった。
ちょこちょこと動き回り、そしてよく働く彼女は、真選組内における半ばアイドル。
ここにいるということは、は買出しか何かに来たのであろうが。
それならば、隊士の一人や二人、荷物持ちについてきていそうなものだ。
何せアイドル。重い荷物を運ばせるなどもってのほかと、局長からして荷物持ちを買って出るほどなのだ。
かくいう沖田自身も、何度かについて買物に来たことはある。
が、そこに深い意味は無く、単に、重い荷物を持ってよろよろと歩くが、あまりにも危なっかしくて見ていられなかったというだけにすぎない。
それはともかく。
常であればお供の隊士の一人や二人がついているはずのは、今は一人。
よく見れば、買物袋を提げてはいるが、その中身は明らかに少ない。
どうやら、買い忘れた物を買いに来ただけらしい。
ならば、隊士が誰一人としてついていないのも道理かもしれない。何せ『荷物持ち』という名目が無いのだから。
そんなことを沖田が考えている間、しかしは店先から動こうともしない。
かといって、人の群がるチョコの山の前にいるわけではなく。
そこから少し離れた場所で、他数人の女に混じって立っていた。
何やら手のひら大の紙切れを手に、俯いたり、かと思えば紙を頭上にかざしてみたりと、およそ理解できない行動をとっている。
 
「何やってるんですかィ、
「ひゃあ!? ……お、おおお沖田さんっ!!!?」
 
声をかけられて振り向いたは、沖田を認識した途端、あからさまにうろたえる。
おまけに、手に持っていた紙切れを背後に隠すという、これ以上に無いほどに怪しい動作。
これで訝しく思うな、という方が無理であろう。
挙動不審なを前に、ふと沖田に悪戯心が湧く。
隠そうとされているものは見たくなってしまうのが、人間というもの。
そして沖田にとって、後ろに回されたの手から紙切れ一枚を取り上げるなど、造作もないこと。
 
「えっ!? やっ、駄目ですっ、沖田さんっ! それ返してっ!!」
「いいじゃないですかィ、減るもんでもないでしょーに」
「減るんです! 駄目! 見ちゃ駄目ですってばっ、返してくださいぃっ!!」
 
もはや泣きそうになりながら沖田に縋る
そんなの反応が可笑しくて、沖田は腕を伸ばし、の手が届かない位置に紙切れを掲げる。
何故この紙切れ一枚に、が泣くほどまでに必死になるのか。
理由が判明すれば、このでもっと遊べるかもしれない。
その程度の理由で、沖田はを牽制しつつも、頭上に掲げた紙切れに目をやる。
それは、手のひらに収まる程度の小さな紙。ピンク地に白抜きのハートという、ありがちなメッセージカード。
だがそんなことよりも、沖田の目を引いたのは。
 
「……俺?」
 
そのピンク色のメッセージカードに書かれた文字は、紛れも無く、沖田自身の名前。
何かを遠慮したかのように少し小さめの、そしてやはり少し丸めの文字が4つ、それでも整然と並んでいる。
ピンク色。ハート。そして、自分の名前。
何かしらの予感に、知らず、沖田の胸は高鳴る。
しかしそれは、単に驚いたから。
そう理由をつけ、沖田は問い質そうとに目を戻す。
が。
沖田がカードに意識を奪われたその隙に、はその場から全速力で逃げ出していた。
探せば、通りの遥か彼方、らしき後姿が見えたものの、それもすぐに見えなくなる。
 
「……何も逃げなくてもいいじゃないですかィ」
 
持ち主を失ったカードを、どうすることもできずにひらひらと振る。
まさか、捨てるわけにもいくまい。
かと言って、に直接渡しに行ったところで、また逃げられるのが関の山だろう。
それはそれで、面白いのかもしれないが。
さてどうすべきかと、が元いた空間に目をやる。
目をやったところでがいるはずもないが、代わりと言うか、小さな木らしきものが視界に入った。
机の上に置かれたその、一抱えできる程度の大きさの木には、沖田が今手に持っているようなカードが、所狭しと吊り下げられている。あたかも、七夕の笹に飾られた短冊のように。
他にも、何も書かれていないカードの山とペンが、机の上には置かれている。
つい先程まではにばかり気を取られていて、まったく目に入っていなかったそれらと、その周囲にいる数人の女たち。
そして、なぜこれに気付かなかったのか。首を傾げたくなるほどの存在感を持つ、ピンク色のポスター。
そのポスターに書かれた文面に、何気なく目を通し。
沖田の胸は、再び高鳴った。
思わず挙動不審にもきょろきょろと周囲を見回すものの、女たちは皆熱心にカードに書き込んでいて、誰も沖田になど注目していない。
そのことに安堵し、沖田は再びカードに書かれた文字を見る。
読み間違えるはずも無い、自分の名前。
そして、ポスターに書かれた文面。
うるさいまでに高鳴る胸に、辛うじて苦笑してみせて。
沖田は、手に持っていたカードを、他のカードと同じように、机の上に置かれた木に吊り下げる。
そして、ふわりと揺れて落ち着いたカードに満足すると、沖田はその場を立ち去った。
その足取りは軽く、今にも鼻歌を歌いそうな様子で。
 
「バレンタインも、悪いもんじゃねーや」
 
たとえ、こんな行事に乗ってでなければ告白できないのだとしても。
たとえ、おまじないに頼ってしまうのだとしても。
何故だか今は、それも可愛いものだと思えてしまう。
―――に限っての話ではあるのだが。
 
「さァて……どう返事してやろうかねィ」
 
つい先程までは、馬鹿にしきっていたはずのバレンタインも、今となっては楽しみである。
店頭に張られていたポスターの文面を思い返し。
そして、2月14日に起こるであろう出来事を想像し。
沖田の頬は、思わず緩むのだった。
 
 
『Happy Valentine's Day!
 
 貴女の想いが、彼に届きますように。
 
 想いを伝えたい相手の名前を、カードにお書きください。
 聖バレンタイン教会にて、貴女の想いが届くよう祈らせていただきます』




<終>



某デパートの一角で、こういう企画を発見して思いついたネタです。
通り過ぎただけだったので、実際の企画内容は違うと思うのですが。大体こんなようなものだったと……
で、肝心のバレンタインネタは……どうしよう。