『第一回真選組定期健康診断』
 
そんな貼り紙が掲げられた屯所の一室。
部屋の前には順番を待つ隊士たちがずらりと列を作って、今か今かと自分の番を待っている。
その顔は一様に機嫌良く興奮気味で、これが健康診断を待つ列だとは部外者にはとてもわからないだろう。
中には手に花束を持っている者までいる始末で、むしろどこかのアイドルのサイン会に並ぶ列のようだ。
そしてその認識はあながち間違ってもいない。
ややあって、部屋から出てきた隊士は、夢見心地の体でふらふらとその場を後にする。
その後を追うように部屋から出てきたのは、あどけない笑みを浮かべた女。

「じゃあ、次の人入ってくれる?」

にこりと女が微笑めば、先頭に立っていた隊士が顔を赤らめ、ぎこちない動きで部屋へと入っていく。そう。隊士たちの目的は健康診断そのものではない。
彼らの目的はただ一つ。健康診断に呼ばれた町医者である彼女―――に会うことだった。



検査結果、異状アリ



「まぁ、皆それなりに健康だから大丈夫じゃないかな。ただ若干名、様子見た方がいい人もいるから。これ、その人たちのリストと症状。ちょっと気をつけてあげてね」
「悪ィな」

差し出された書類の束を受け取り、土方は礼を述べる。
だがその手は差し出されたまま。何のことかと訝しんだのは一瞬。すぐに思い当たり、土方は懐から取り出した封筒をその手の上に置いた。
「まいど!」と嬉々として中の金額を確かめる姿は、ともすればガメついても見える。しかし女一人で開業医をしている身ともなれば、金銭に敏感になるのも致し方ないのかもしれない。
それがまた、金の無い患者には治療費を請求しないなどという慈善事業みたいな事をやっているのだから尚更だ。
本人は「搾り取れるところから搾り取ってるからいーの」と笑っているが、それにしたところで経営が決して楽ではないことは土方も知っている。
そんなの手助けに少しでもなれば。理由は決してそれだけではないが、往診代も含めて代金はきっちり払うと言えば、は二つ返事で引き受けてくれた。
白衣の天使と町で評判の女医が相手となれば隊士も嬉々として往診を受けるし、その言葉にも耳を傾けるだろう。
土方の目論見は見事的中、これならば次からもを呼ぼうかと思うくらいだ。
手渡された書類は、各人の基礎データに加えて、問診結果が書き添えてある。付箋が貼ってあるものが要注意といったところか。
何もその容姿だけで評判になった訳ではない。医者としての腕は確かだ。書類に記載された内容も、素人にもわかりやすいよう簡潔に要点のみ。
結果に満足し再度礼を述べると、しかしは腑に落ちないような表情を浮かべている。

「どうかしたか?」
「土方さんは?」
「は?」
「だから、土方さんの健康診断は?」

言われてみれば確かに、土方自身は受けていない。隊内の健康診断を請け負ったにしてみれば至極最もな疑問だろう。
首を傾げるに、考えることしばし。

「別に俺は必要ねェよ。自分の体は自分がよくわかってんだろ」

それは本音半分の建前半分。
面倒臭いというのもある。何より、相手に服を脱いだりしなければならないのかと思うと、躊躇わずにいられない。
しかしその回答は当然ながら、のお気に召すものではなかったようだ。
いくら気安いとは言え、そこはれっきとした医者。診察料も受け取った以上、全員を診なければならないという義務感に駆られているのだ。
それに、体の調子が自分で判断できるのであれば、健康診断などそもそも存在しないに決まっている。
土方にその気は無かったとは言え、にしてみればまるで医者の、ひいては自身の存在意義を否定された気分になる。大袈裟かもしれないが、それだけ仕事にプライドを持っているのだ。

「ダメ! 土方さん、絶対にコレステロール値が異常だし、肺だって真っ黒になってる! 要検査にならないはずないもん、このマヨ星人!!」
「勝手に決めつけんじゃねーよ!!」

人を重病人に仕立て上げるなと言ってはみても、は聞く耳を持たない。要検査だ人間ドックだと主張しながら、目を据わらせてにじりよってくる。
考えてみれば女一人、はね除けることは容易いはずだ。しかしそれができないのはの迫力ゆえか、それともまた別の理由か。
座ったまま逃げるように後ずさったところで、室内で逃げ切れるはずもなく、やがては壁際まで追い詰められてしまう。

「ふふっ…つ〜かま〜えたっ」
「……人格変わってねーか?」

思わず呟いた声は届いたのかどうか。
うふうふと些か気味の悪い笑い声を上げて、が手を伸ばしてくる。
逃げること叶わず、ガシリと掴まれた体。自分が捕らえられるなど、本来とは逆の立場になってしまったことを土方は胸の内で嘆いた。

「じゃあ、まず問診ね。普段の睡眠時間は?」

そんな土方の嘆きにも気付かず、は次々と質問を投げかけてくる。生活リズムから、体の調子の自覚症状、煙草や酒の摂取量など、よくもまぁメモも見ずに口に出せるものだと、次第に土方は感心さえしてきた。外見はどうあれ、やはり医者は医者なのだ。
土方の回答は粗方予測済みのものばかりだったのか、ふんふんと頷くばかりでカルテに記入するでもない。あれだけ要検査だ何だと騒いでいたのだから何をされるのかと怖れていただけに、些か拍子抜けもする。
だからなのか、「はい、口開けて」との指示に、言われるままに口を開けてしまった。別段、それ自体は問題ではない。やや乱暴に舌圧子を口内に突っ込まれたが、それもまだ許容範囲ではある。が。

「う〜ん……やっぱ喉が少し荒れてるなぁ」

煙草の吸いすぎだよ、と何でもないことのように口にするのその声が存外近くから聞こえることに、土方は動揺せずにはいられなかった。
我に返れば、の顔は目と鼻の先。真剣な眼差しに見つめられているのは喉の奥という、何やら締まらない状況ではあったが、それでも至近距離であることに変わりはない。
ドキリと心臓が跳ね上がるのを、一体どうすれば良いのか。
状況が違えば、一にも二にも、やる事は一つ。女にのしかかられ、それで行動一つ起こさないなど男が廃る。
しかし今の状況では話は別だ。にしてみれば、あくまでも二人の関係は医師と受診者。それ以上でもそれ以下でもなく、色っぽい思考など皆無に決まっている。
それが手に取るようにわかるからこそ、もどかしさを覚えながらも土方はなす術もなくされるがままになっているのだ。
最早、諦めの境地だ。の頭には色恋沙汰など微塵たりとも存在していない。ただ医学への探求だけがそこにはあるのに違いない。まったくもって、厄介な相手だ。
色恋沙汰が念頭にないからこそ、遠慮も躊躇もない。そこが、土方にしてみれば非常に困る。

「じゃあ、次はお腹診せてね」
「って、何してんだてめェェェ!!?」

咄嗟に押しのけようとしたが、それは叶わない。意外にもの細腕に力があるのか、動揺した土方の手に力が入っていないだけなのか。或いはその両方か。
「診察」と簡潔明瞭に答えたの手にはいつの間にやら聴診器。気付いた時にはシャツを捲られ、聴診器を押しあてられていた。
ヒヤリとした感触に、一瞬、身体が震える。だが、それよりも気になるのは、自分の心音。先程から早鐘のように鳴り続けているそれは、まったくもってらしくないと思う。しかし、から至近距離で見つめられ、触れられ、それに他のどんな意図もないとわかっていて尚、速まる鼓動を抑えることができないのだ。
思春期でもあるまいし、と自分のことながら土方は舌打ちしたくなる。
だが一方で、このまま目の前にいてほしい、触れていてほしいとも思ってしまうものだから、ますます思春期の中二状態だ。
勿論、現実にははあっさりと離れていってしまうのだが。

「ん。まぁ、異常はないと思うんだけど……」

そう言いながら、はそれでも首を傾げている。
聴診器を片付け、手にしたカルテに何やら書き込みながら、考え込むように首を傾げている。
まさか何か悪い病気の予兆でもあったのだろうか。医者に言葉を濁されると不安になってしまう。「なんだよ」と促せば、は相変わらず首を傾げたまま。

「何か、妙に心音速い気がして」

心機能に異常はないと思うんだけどなぁ、と言葉を続けるに、土方はギクリとする。
尋常ではない速さで音を刻む鼓動に、気付かれない訳がなかったのだ。
問題は、果たしてがその原因を突き止めるかどうか。この際、原因など適当にこじつけてくれればいい。いっそ「要検査」とでもして他の病院に押し付けてくれないものか。
しかし、現実とは無情なものである。

「あ! 実は土方さん、私のこと好きだとか? だから近くにいてドキドキしちゃったとか」

この時点で、咄嗟に否定しておけばよかったのだと、後々まで土方は悔やむことになる。
「なんてねー」などと笑っていたにしてみれば、冗談以外の何物でもなかったのだろう。と、後から冷静になって思い返してみればわかるのだが。
しかしこの時には、そんな判断を下す余裕が土方には無かった。冗談でも何でも、それまで意識の根底に押し込んでいたに対する思いを、当の本人によって引きずり出されたのだ。突きつけられた事実に言葉を詰まらせるだけで、どんな反論を返すこともできずに固まるしかできない。
一方で、土方の反応にも笑ったまま凍りついたように固まっていた。流されることのなかった冗談を持て余し、「えっと…」と視線を泳がせている。

「もしかして、図星、とか……?」

作り笑いをその顔に浮かべたが求めている答えがたった一つであることなど、土方は気付いていた。
気付いて尚、望む答えを伝える気にはならなかった。
に気付かれたかった訳ではない。女一人の存在に揺さぶられる醜態など、見られたいはずもなかった。それでも、土方の想いを無かったことにされることにも我慢がならなかったのだ。
沈黙は肯定の意。
それを正確に汲み取ったらしいが、はぁ、と息をひとつ漏らす。その溜息は呆れから来るものなのか。
土方が答えを見出せずにいるうちに、はさっさと立ち上がる。見上げた先のその顔には、困ったような笑みが浮かんでいた。

「土方さんって、意外に女の子の扱いわかってないよね―――気持ちを悟ってあげるほど、女の子はお人好しじゃないよ?」

言うや、手にしていたカルテに何かを書き加え、それを手放した。
ひらりと舞い落ちる一枚の紙。それを土方が拾い上げるより先に、は何事もなかったかのように「じゃあね」と去っていく。
の言葉の真意は何なのか。相変わらず見出せない答えに苛立ちを覚えながら、土方は床に落ちた紙を拾い上げる。
それは、先程まで見ていた書類と同じ。隊士たちの健康診断の結果だ。違うのは、書かれた名前が土方のものであるということと、書類の一番下に赤ペンで書かれた文言。

『言葉が足りません。このヘタレ!』

目に入った瞬間、手にしていた書類を握りつぶしてしまったのは自分の責任ではない、と土方は考える。失礼極まりない言葉を投げつけていく方が悪いのだ。

「……後悔すんじゃねぇぞ」

握りつぶした書類を手にしたまま、ゆらりと土方は立ち上がる。
向かう先は、ただ一つ。ただ一人の元へ。



<終>



プッツンきて、本気モードで口説けばいいと思います。
でも私が書くと、基本的にヘタレで不憫なんですよね、副長……カッコいい副長が書けません。

('10.09.06 up)