太陽は中天から西へと僅かばかり傾き。
窓を開ければ心地よい風がふわりと入り込む。

そんな、午後のひととき。
 
 
 
 
なでしこ日和



 
良く言えば、風情がある。
普通に言えば、ボロ長屋。
その外見に相応しく玄関の引き戸の立て付けが悪いことを、銀時はよく知っている。
ついでに、呼び鈴が壊れているということも。
念のために引き戸の横に設置されているそれを押してみたが、家の中で鳴っている気配は感じられない。
早く直せと何度も言っているのだが、笑って誤魔化すばかりの住人が脳裏に浮かぶ。可愛らしく笑えば何でも許してもらえるとでも思っているのか、いつもいつも笑っている彼女は、銀時の恋人でもある。ついでに言えば、可愛らしく微笑まれて大概のことを許してしまうのは銀時なのだから、結局のところ責は銀時にもあるのかもしれない。
仕方なく引き戸を軽く叩いてみたが、中から返事は無い。
ならばと、ためしに引き戸にかけた手に力を込めれば、ガタガタと音を立てながらも扉は開いた。
 
「おーい。入るぞー」

一言断って敷居を跨ぐと、引き戸を閉めてそのまま上がり込む。
勝手知ったる家だ。案内など無くてもどこに何があるかくらいは把握している。
それにしても、何の返答も無いことを銀時は訝しむ。
買物にでも出掛けているのかもしれないが、それにしては玄関に鍵がかかっていなかった。確かに一見して盗るものなど何もなさそうな家ではあるが、それにしたところで女の一人暮らしで不用心なことこの上ない。
また一つ小言が増えたことに「俺はアイツの母ちゃんかよ!」と一人ボヤくが、それに対する答えもやはりどこからも返ってこない。
元より何かを約束していたわけではない。だが、悲しいことに特に予定も入っていない銀時は、せっかくだからとこのまま留守番してやることにした。いくらなんでも鍵の掛かっていない家を放っておくわけにはいくまい。
一先ずは落ち着ける場所に、と向かったのは南側の部屋。小さな庭に面したその部屋がこの家で一番居心地がいいことを銀時は知っている。
玄関から続く短い廊下を進み、居間を通り抜けた先にあるその部屋。案の定、陽が差し込み、開け放たれた窓からは爽やかな風が優しげに頬を撫でる。まるで眠気を誘うかのように心地の良い空間。
それは認めよう。
だが。

「だからって、コレは無防備すぎんだろ……」

目の前の光景に、思わず銀時は頭を抱えたくなった。
畳の上にコロンと転がっているのは、この家の住人であり銀時の恋人でもある。規則正しく動く背中が、彼女が夢の世界に旅立っていることを物語っている。
寝るつもりがあったかどうかは定かではないが、それにしても玄関に鍵をかけていない上に窓も開け放したままでのこの状況は、あまりにも無防備が過ぎる。
すっかり熟睡してしまっているのか、銀時が近付いたところでが目を覚ます気配はない。
日向ですやすやと寝入るその腕に、見覚えのあるぬいぐるみを抱いて。
 
「ガキじゃねェんだからさ。もっと他に抱くモンあるだろ?」
 
苦笑しながらその頬を突いてみるが、やはり寝入ったまま。
が腕の中に抱きしめているぬいぐるみは、いつだったか銀時がパチンコで勝った時に景品で貰ったもの。愛嬌のある白ウサギはに似合うかと深く考えもせずにプレゼントしたら、予想以上に喜ばれてしまったのだ。
以来、はこのぬいぐるみを大切にしているのだ。「銀ちゃんだと思って大事にするね」とはにかんだの表情は今でもよく覚えている。洗濯ついでに風呂に一緒に入っていると聞いた時は、むしろ自分と一緒に入ってくれと本気で思ったりもした。
ともあれ、銀時の代わりと思っているぬいぐるみを腕に幸せそうな顔をされては、怒る気も失せてしまう。
脇に腰を下ろし、コツンと額を小突いても、やはりは眠ったまま。愚図るように、ぬいぐるみを抱き込んで丸まってしまった。
その仕草が可愛らしいと言えば可愛らしい。
けれども同時に、僅かな苛立ちを覚えるのも確かだ。
理由などわかっている。ぬいぐるみ相手に嫉妬など、それこそ子供じみていると思わないでもない。それでも、妬いてしまうのだから仕方がない。
せっかく目の前に恋人がいるというのに、腕に抱く相手がぬいぐるみとは。
たとえばここで、その腕の中のぬいぐるみを取り上げたら、はどんな反応を見せるだろうか。そんな考えが銀時の脳裏を過る。そのまま気付かずに眠り続けるか、それとも流石に目を覚ますか。
どちらにせよ少しはこの苛立ちが収まるだろうと、早速銀時は実行することにする。
白ウサギの足を掴み、を起こさないよう慎重にその腕から引き抜く。
存外に容易く引き抜けたそれは、ふわふわとして柔らかく、確かに抱き心地は良さそうだ。パチンコの景品にしては質が良かったのか、それともの日頃の手入れの賜物か。
ぬいぐるみを脇に置いて視線をへと戻せば、ぬいぐるみを探しているのか手をパタパタと動かしている。
まるで小動物のようなその仕草に、これは流石にそろそろ目を覚ますだろうかと考えた、その時。
の手が銀時の腕に触れる。と同時に、目的のものを探し当てたと言わんばかりに銀時の腕を抱え込んでしまった。
それは予想外の出来事で。突然引っ張られ、バランスを崩した銀時は畳の上に思い切り肩をぶつける羽目になってしまった。にぶつからなかっただけマシなのかもしれないが、それでも痛いものは痛い。
銀時をこんな目に遭わせた当の本人は、未だ夢の中。幸せそうに銀時の腕を抱き込んでいるものだから。

「今日だけだぞ、今日だけ」

目の前でぬいぐるみを抱きしめられるよりはマシか、と思いつつ。
けれども腕に押し付けられる胸の感触に「今夜はスペシャルコースで寝かせねーぞコノヤロー」とボヤきつつ。
銀時は体勢を楽にする。

窓の外には青空が広がって。
庭に干してある洗濯物が風に揺れ。

ふぁ、と欠伸が一つ、口から零れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……あれ? ぎんちゃんがぎんちゃん?」
「は?」
「銀ちゃんが銀ちゃんになっちゃった」
「イヤイヤ。お前、寝惚けてんの? 銀さんは銀さんに決まってっだろ」

うとうとしていたところへ降ってきた声。
目を開けたならば、銀時の腕を抱き込んだまま、がきょとんと目を瞬かせている。
しかし意味がわからないのは銀時も同じだ。の言葉がまるで理解できない。寝惚けているのかと思えば、はふるふると首を横に振った。

「違うもん。ウサギの銀ちゃんは? 銀ちゃんになっちゃったの?」
「……まさかお前、あのぬいぐるみに俺の名前つけてんのか?」
「うん」
「……イヤ。まァ、いいけどよ」

真顔で頷くに、どんな反応を返せばよいのか。
呆れたような照れくさいような情けないような、あらゆる感情が綯い交ぜになって、間の抜けた返答しかできやしない。
ただ一つ、決意したことと言えば。
今夜は『スペシャルデラックスコース』で寝かせない、ということくらいだった。



金輪際、人間とぬいぐるみを混同させてなるものか。 



<終>



タイトルは、まったくもって意味がありません。
「凛として咲く花の如く」がちょうど流れたものだから、「あ、撫子ロック。これでいいや」とばかりに。
36万ヒットのキリ番申告をいただきましたさつき様へ。煮るなり焼くなりダメ出しするなり、お好きになさってくださいませ。

('10.11.01 up)