―――これで、『私』が終われるの」
 
それは、誰に聞かせるつもりも無い言葉だったのかもしれない。
部屋はまさに「血の海」と表現するのが相応しい惨状だった。
壁どころか天井にまで飛び散った血が、つい先程まで起こっていたのであろう地獄絵図を雄弁に物語っている。
息絶えた人間たちの中、ただ一人佇む少女の右手には、血濡れの刀が握られている。
こちらへと背を向けた少女が羽織る真白い死装束を染める鮮血。それでも、彼女自身の血は一滴たりとも流れていないのだろうと沖田は確信していた。
静寂の中、ぽつりと落とされる少女の声は沖田の耳にも届いた。
背を向けてこそいるが、きっと沖田の存在には気付いているのだろう。
だからこれは確実に、沖田へと向けられたものだ。
 
「でもね。終わる前に、一つだけやらなくちゃいけないことがあるの」
 
『あの人』にお願いされたから―――
どこか幼げな口調でそう言って、少女がくるりと振り返る。
同時にふわりと揺れる死装束の裾がいっそ鮮やかで、まるで映画のワンシーンでもあるかのように目に映る。
振り返った少女の出で立ちはと言えば、これもまた現実離れしている。室内にも関わらず厚底の黒下駄、身に纏うは赤い着物、羽織るのは対照的に真白な死装束。
 
「だから、そーちゃん。ごめんね?」
 
その瞳には狂気を孕んで。
その口元には歪な笑みを乗せて。
口先だけの謝罪を告げるや、カンッと軽やかに下駄を鳴らし、少女は跳躍した。
 
 
 
 
殺戮人形が微笑う夜




―――。武州の生まれ。
 父親は州役人。何不自由ない幼少時代を過ごす。
 8歳 父親の栄転により江戸へ越す。
 13歳 父親の横領の咎により、一家処刑。
 父親の横領の罪については、詳細は不明。冤罪との噂も。
 なお、当時、刑の執行に立ち会った者は全て、執行と時を同じくして死亡、もしくは失踪。詳細不明―――
 
山崎に調査させたに関する報告書は、要点をまとめればそんなようなものだった。
僅か13で生を終えたとされる。しかし沖田が出会ったのは、歪な存在でこそあれ、紛れも無く「」本人だった。
の変貌は、この事件に要因があるのだろう。しかし事件の詳細はわからない。
わかっている事実など、ほんの僅かだ。
真偽の程はともかくとして、父親の犯した罪により、家族全員が刑に処せられたこと。
けれども刑の執行に関わった人間は、同時に死亡、もしくは失踪―――生死不明であること。
処刑されたはずのが生きていたこと。
そして、が幕府の高官、あるいは天人を殺してまわっていること。
たったこれだけで、事実を突き止めることは不可能だ。だが、推測はできる。
視界の端で赤に濡れた着物の裾がふわりと揺れた一瞬後、下から掬い上げるように迫ってきた刃先を沖田は寸でのところでかわす。同時に刀を抜くと、続け様に横へと薙ぎ払われた刀身を受け止めた。そのまま力を込めて押し返せば、その反動を利用してが後方へと飛び退る。
 
―――親の仇討ちってワケかィ?」
「だって。悪いことしてなくても殺されちゃうんだもの。だったら、悪いことしてる人のことも、ちゃんと殺してあげなくちゃ」
 
僅かに首を傾げ、クスクスと愉しげに哂うその言葉は、やはり幼げで。
恐らく、事件を切っ掛けには狂ってしまったのだろう。13で時を止めたまま。無邪気な口振りで残酷なことを言葉に乗せる。そして更にそれを当然のこととして平然と実行に移すのだ。
にこんな才能があったろうか。幼い頃を思い返してみるが、沖田には思い出すことができない。ただ、近藤の道場によくやって来ては、沖田や近藤と遊んでいた記憶ならばある。
開花することなどなければ良かったのであろう、殺戮者としての才能。躊躇い無く振り下ろされた刀を受け流しながら、の背後に存在しているであろう人物のことが頭を過る。その人物は、何のためにを保護しているのか。どれだけのことを知っているのか。
狂った少女へと差し出されたその手は、果たして救いの手だったのか、破滅への誘いだったのか。
 
「で? 俺を殺せって言った『あの人』ってのは誰なんでィ?」
「ないしょ。『あの人』にお願いされてるんだもん」
 
子供のように無邪気に響く言葉とは裏腹に、その瞳は狂気の色を湛えている。
も狂ってしまっているのかもしれないが、この状況も大概狂っていると沖田は思わずにいられない。
物騒な会話を何気ない口調で交わしながらも、剣戟の音が絶えることは無い。殺し合いのはずが、まるで単なるじゃれ合いにも思えるのだから、沖田も毒されてきているのかもしれない。
だがふと、沖田は違和感を覚えた。理由はわからない。けれども、この状況に不意に首を傾げたくなったのだ。微かな違和感に、脳内で警鐘が鳴る。
それでも身体は勝手に動くものだ。立て続けに振るわれる刀を一歩踏み込んで薙ぎ払えば、は距離をとるように後方へと飛んだ。
着地したその手にはいつの間に抜いたのか、一丁の銃。刃毀れした刀は最早不要とばかりに、脇へと放り投げられている。
こちらは刀。あちらは銃。いつぞやの再演のようだが、違うのは、が今は泣いていないということ。愉しげに哂うに、それでも膨らむ違和感。
しかし、殺し合いの状況に変わりはない。殺すか、殺されるか。どちらにせよは救われないのだろう。ならば、いっそこの手で幕を引いてやるべきか。
逡巡したのは一瞬。次の瞬間には沖田は足を踏み込んでいた。
を救いたい、などとは思わない。救えるとも思えない。狂ってしまうほどに心に傷を負ったを、血に濡れたこの手が救えるものか。
せめて沖田にできることは、一つ。の存在を終わらせてやることくらいだ。そう、自身が口にしたように―――
ハッと違和感の正体に気付く。脳内で煩いほどに響く警鐘。おそらく無意識では気付いていたのだろう。引き金に指を掛けられた状態で真っ向から斬り込むなど、自殺行為に他ならない。だが自分は躊躇なく足を踏み出した。引き金に掛かるの指もまた躊躇なく引かれる。そして―――
 
―――なんで? どうして、『私』を終わらせてくれないの?」
「お前こそ、最初から俺を殺す気なんざなかったんだろィ」
 
縺れ合うようにして二人倒れ込んだその先。の手には弾丸が込められていない銃がそれでもしっかりと握られ、沖田が手にしている刀はの顔のすぐ横の床へと深々と刺さっている。
違和感の正体は、気付いてみれば明白だった。のスピードを以ってして斬りかかられれば、沖田でさえ防戦一方になるはずだ。事実、前回はそんな状況だった。だが今回はそんなこともなく、それどころか思考する余裕さえあった。それはつまり、が本気で斬りかかってきてはいないということだ。
加えて、が口にしていた「これで『私』が終われる」との言葉。
その意味に無意識の内に気付いていたからこそ、銃口を向けられて尚、沖田は踏み出したのだ。
狂わされた人生を、の望み通り終わらせてやるために。
救うことができないのであれば、せめてその望みくらいは叶えてやりたいのだ。だから。
 
「だって。そーちゃんに終わらせてほしかったんだもん」
 
狂ってしまった心で、は残酷な我儘を子供のように口にする。
このまま捕縛されれば、間違いなく死罪だろう。それだけの人間、天人を殺してきたのだ。
ギリ、と奥歯が軋む。
選択肢の無い己自身が嫌で堪らない。
目の前には、狂ってしまった幼馴染の歪んだ笑み。
彼女にも、選択肢など最早存在していない。
 
「仕方ねーなァ」
 
上手く笑えただろうか。
聞分けの無い我儘を渋々聞いてやる幼馴染の姿を、演じていられているだろうか。
の瞳に映る自分の顔をうまく見ることができない。だが、が笑っているからいいか、と無理矢理に結論付け。
柄を握る手に、力を込めた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「この報告書は本当か?」
「なんで俺がわざわざ嘘を書かなきゃなんねェんでさァ」
 
未だ疑いの目を向けてくる土方を無視して、沖田は部屋を後にする。
普段から報告書など適当に書いていたから誤魔化せるかと思いきや、そう上手く事は運ばなかったらしい。
幕府高官連続殺戮に係る報告書で、確かに沖田は嘘を書いた。
屋敷の奥へ辿り着いた時には、死体しかなかった。『殺戮人形』はすでに立ち去った後だったと。
『殺戮人形』こととのやり取りには一切触れなかった。
真実など、誰も知らなくていい。ただ二人だけが知っていれば、それでいい。

『ありがとう、そーちゃん』

脳裏に焼き付いて離れないそれは、狂いも歪みもない、穏やかな笑みを浮かべたの姿だった。



<終>



細かいところは、皆さまの御想像にお任せします。

('11.09.10 up)