一年中雨ばかり降る、ジメジメとした街。
傘の下から、少女は空を見上げる。
そこには、どんよりとした灰色の空。
それが当たり前なのだと、少女にはわかっていた。
けれども、決してそれが『普通』ではないことも、少女は知っていた。
深く澄んだ青空。色とりどりの花が咲き誇る野原。色鮮やかな景色。
少女がいつも大事そうに抱えている絵本に描かれた、そんな世界。

「こんな世界に行ってみたい」と少女は呟いた。
「いつか連れて行ってあげる」と少年は言った。

少女は笑う。
少年は笑う。
それが決して果たされない約束だと、二人ともが知っていた。
幼いながらに、理解せざるをえなかった。

陽の光の下で生きることを許されない、それが夜兎族の宿命なのだから―――
 
 
 
 
終末世界に傘を差す



 
―――あの美しくも切ない思い出は何だったのかしらねー」
「なにそれ? の記憶違いなだけだろう?」

返された言葉に、は顔をしかめる。
成長した少女は、今では宇宙海賊春雨の第七師団団長補佐などという、大層なのかそうでもないのか本人にも不明な肩書を持つに至っている。
しかしその肩書は別に彼女自身が望んだものではなく、周囲に半ば無理矢理に押し付けられたものなのだから、としても嬉しいとは言い難いものではある。要は団長のお守という役目なのだから尚更だ。
そのお守相手が、あの美しくも切ない思い出の中で約束を交わしていた少年なのだから、ますますもって嬉しくない。
だから、常々思わずにはいられないのだ。思い出は美しいまま仕舞いこんでおくべきなのだと。
溜息を吐いて空を見上げれば、遮るもののない空はどんよりと濃い灰色に覆われている。けれどもこの空は、あの日見ていた空とは違うものだ。
それでも結局、こんな世界でしか生きることが叶わないという事実が、変わることは無い。
 
「それに、外の世界には連れ出してあげたんだから、感謝してほしいな」
「私が見たかったのは、お花畑な神威の脳内じゃなくて、現実のお花畑だったんですけどー。ああでも、アンタにお花畑なんて似合わないか」
「酷いな。少なくとも阿伏兎よりは似合うつもりだけど」
「それ比較対象がものすごく間違ってるから。ありえないから」
「アンタら二人とも俺に対して失礼だって気付いてんのか?」

軽口の応酬をしながら、手にしていた傘を振り払う。同時に周囲へと飛び散る緋色に、誰も頓着することはない。精々が振り払った当人が「後で傘洗わなくちゃ」と思った程度だ。
陽の差さない空の下、それでも傘を開いたのは、夜兎族としての最早習性だ。
ばさりと番傘を開けば、灰色の空さえ視界から消えてしまう。
頭上には陽を遮るための傘。足下には血で赤く染まる大地。視界の先にあるのは花畑とは程遠い、自分たちが作り上げた死体の山ばかり。
それが夜兎族の生き様であり、それについて特段の疑問を覚えたことはにもない。神威などは嬉々としてそんな生き様に向き合っているが、それはそれで夜兎族本来の姿なのだろう。
けれども、憧れずにはいられないのだ。
絵本の中に見つけてしまった、深く澄んだ青空に。色とりどりに咲いた花たちに。
叶わないからこそ、尚のこと。
傘の下から見える世界は、暗くて狭い。
当たり前のことなのだとわかっていても、それでも願わずにはいられない。
ただ一度でいい。絵本の中に見つけた空を見に行きたい、と。

「で、次の仕事は? どこに行くの?」
「さあ? 阿伏兎が知ってると思うけど?」
「俺はお前らの秘書なのか? そうなのか?」

阿伏兎の文句を聞き流し、神威に続いてもまた足を踏み出す。
どこまでも変わらない世界。変えられない世界。灰色と赤色で構成される世界。
それでも、こうして連れ出されるままに宇宙を巡れば、いつかは辿りつけるかもしれない。
たとえその世界が、夜兎族にとっては『死』と同義の世界なのだとしても。

「ああ、でも、それも悪くないかも」
「何か言った?」
「ううん、別にー」

ふと至った思考は、聞かれては呆れられるか馬鹿にされるかのどちらかだろうと、は口を閉ざす。
連れ出されたその先に、望む世界へと辿りつけたならば。
青い空と色とりどりの花を見られるというのならば。

陽に灼かれて死ぬのも、悪くはない。



<終>



元ネタ:WORLD'S END UMBRELLA
これ聞いてたら、夜兎族の女の子書きたくなったんです……

('11.11.05 up)