夢見たものは、たった一つ。
ゆめみるうさぎ 5 〜終末世界に傘を差す〜
外へ出掛ける。
ただそれだけの事に、こんなにも胸が躍ってしまう。
たとえそれが、夜兎族にとっては自殺行為に等しいことなのだとしても。
まだ陽が高いこの時間。電車に揺られ、は何を見るでもなく窓の外へと目を向ける。
駅までは日陰となっている道をできる限り選んで歩き。今座っている席も、日差しが入り込まない場所だ。
やればできるものだと自己満足し、今後の予定を頭の中で確認する。
確認と言っても、大した計画があるわけではない。
目的地は、いつだったか、食事中に万事屋の皆とテレビで見た場所。公園内に花畑があるといったもので、場所もそれほど遠くない。万事屋から電車とバスで一時間程度。ここが丁度いいと銀時にも言われ、も頷いたのだ。
日の光にある程度慣れたら全員で、と言っていたのだが。
「銀ちゃん、怒るかなぁ」
神楽は、新八はどうだろうか。
今でも、太陽の下を歩けば、10分も経たない内に倒れそうになるのだ。
だからこそ絶対に一人では外に出るなと言われているにも関わらず、勝手に外に出るどころか、こんなとこまで一人で来てしまって、三人はどう思うだろうか。
そして神威は……
「今度こそ呆れられるかなぁ」
それは少しばかり悲しいかな、とは思うものの、だからといって今更やめることなどできはしない。
苦笑いするの目に映るのは、どこまでも広がる青空。そして、少しずつ増えてくる緑。
持ってきた鞄の中から取り出した絵本を広げ、は小さく微笑んだ。
ずっと夢見ていた。
叶わないと知りつつ、夜兎族には過ぎた夢だと知りつつ、それでも諦めることができなかった。
それが今、叶おうとしている。
高揚する感情を押さえきれないまま、交通機関を乗り継ぎ、目的の公園へと辿り着く。
普段であれば傘を差していても溶けそうに思える太陽さえ、傘の下、今はまったく苦にならない。意外に、気の持ちようで何とかなるものなのかもしれない。
新たな発見をしつつも、逸る気持ちを抑えることもせず、は足取り軽く進む。
公園の敷地へと入って、まずは案内板を探す。さすがに目的地を探してうろうろできるような状況でないことくらいは、もわかっている。
今は気持ちが高揚していて気にならないが、日の光は確実に夜兎族の身体を蝕んでいる筈だ。
現に、案内板を見上げたその瞬間、くらりと眩暈に襲われた。
「……これはちょっと、マズイかなぁ」
とて、別段、死にたいわけではない。
それでも、ここまで来たのだから、という思いを捨てきれない。
軽く目を抑え、眩暈が治まるのを待って、は決意して歩き出した。
傘の下にさえも届いているかのような日光に、もはや気の持ちようでは誤魔化しきれないのか、次第に眩暈どころか吐き気さえ覚えてくる。いつもであればとっくに日陰に避難しているところだが、生憎と目に見える範囲に休めそうな日陰はない。そして、日陰を探しまわる気力などないのだから、前に進むしかない。
不調に気付いてしまったが最後、身体は限界を訴え、悲鳴をあげている。それでも足を止めることはない。理性も本能すらも押さえ込んで、憧れによる衝動だけが、ただひたすらにを後押しする。
頭の中に叩き込んだ案内板の地図を元に進むうち、いつしか速まる足。近づく目的地。高鳴る鼓動。そして。
「―――っ!」
言葉もなく、眩暈も吐き気も、呼吸すらも忘れたように、はただ呆然とそこに立ち尽くした。
ようやく辿り着いた場所。
目の前に広がるのは、色とりどりに咲いた花。顔を上げれば、頭上に広がるのは澄み渡った深い青色の空。
それはまさに、絵本に描かれていた景色。憧れて、焦がれて。小さな頃から見たいと願ってやまなかった景色が今、の目の前に現実のものとして広がっていた。
青い空と花畑。爽やかな風に、運ばれてくるのは甘い甘い花の香り。地球ではきっとありふれたそれらは、けれども絵本では味わう事などできない、『本物』だった。
本来であれば、夜兎族が見ることなど許されるはずのない景色。
その景色に、身体の中心から熱いものが込み上げてきたと思えば、逆に冷たいものが頬を伝う。
胸が締め付けられるようなこの気持ちを、どう表現すればよいのだろうか。
まさに望んでいた光景に、いつしか傘を取り落としていたことにもは気付かなかった。しかし拾い上げようとは思わなかった。拾い上げなければ、とすら思わなかった。
不思議と、苦しさは感じなかった。
視界一杯に広がる鮮やかな花畑。そして、深く澄んだ青空。
それが滲んでいくのは、止まらない涙のせいだろうか。それとも薄れゆく意識のせいだろうか。
最早それさえもわからない。わからなくても構わない。
満たされたと思った。幸せだと思った。それだけで十分だ。
自分の身体が崩れ落ちるのを感じながら、はそっと意識を手放した。
瞼の裏に、夢見た光景を、現実の光景を、はっきりと焼き付けて―――
* *
ゆらり、ゆらり。
不安定に身体が揺れるのを感じる。それと同時に、どこか安心するような温もりも。
一体これは何だろうか。
浮上した意識が疑問を抱き、はゆっくりと目を開いた。
しかし暗くて、今どこにいるのかよくわからない。唯一つわかるのは、自分が誰かに背負われているということ。その相手は。
「…………神威?」
「やっと起きた?」
一瞬止まった歩みが、すぐに再開される。
ゆらり、ゆらりと。
下りろ、と言われるわけでもなく。背負われるまま、はぼんやりと周囲へと目を向ける。
暗いのは、夜だからのようだ。真っ暗というわけでもなく、街灯はあるし、月明かりもある。進む先にはターミナルが不夜城のように聳え、その周辺もまた煌々と明かりが灯っている。
は確かに、公園にいたはずだ。一面に広がる花畑と、どこまでも青く広がる空。目に焼きついた景色は、今もなお脳裏にはっきりと蘇る。
絵本よりも映像よりも、想像よりも。遥かに色鮮やかな光景は、決して幻などではない。
「……私ね。死んでもいいかもって、思っちゃった」
「……バカだね」
「うん。自分でもそう思う」
苦笑いして、は神威の言葉を認める。
それでも、あの景色を見た瞬間、確かにそう思ってしまったのだ。
今にして思えば、本当にバカだと思う。
「だって、死んじゃったら、もう二度とあの景色見られなくなっちゃうのにね」
「まだ見る気かい?」
呆れたような神威の声は、言外に「死にかけたくせに」と言っているようだった。
実際、神威がいなければ本当に死んでいたのだろう。が神威の気配に気付けるように、神威もの気配がわかるのならば、見つけ出すのにそれほど苦労はなかったはずだ。おそらく、が気を失って程なくして、神威が見つけてくれたのだろう。
それでも、いくらよりは耐性が多少はあるとは言え、探して回るのは大変だったに違いない。見つけたを助けることも。本人は絶対に言わないだろうが、神威自身も相当辛かったはずだ。
だからこそ、神威が呆れるのも尤もだと思う。これが自分のことでなければ、でさえ「バカだろう」と思うに違いない。
バカだと、わかった上で。はこくりと頷いた。
背中にいるのだから見えたわけではないだろうが、気配でわかったのだろう。神威が深い溜息を吐いた。
「止めても無駄だろうから止めないけどね」
「うん」
「今度見る時は、俺が一緒に行くから」
「…………え?」
てっきり「好きにしなよ」とでも言われるかと思っていたものだから、思いもかけない神威の言葉に、は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
理解して尚、どうしてそんな言葉が出てくるのかと、間の抜けた声を上げてしまう。
聞き返したに対し、神威は前を向いたまま、足を止めることもないまま、当たり前の事のように淡々と答える。
「言っただろ? 俺が連れて行ってやるって」
「……覚えてたんだ」
それは、子供の口約束に過ぎなかったはずの言葉。
覚えていたでさえ、それが果たされるとは思っていなかったし、神威がまともに覚えているかどうかさえ怪しいと思っていたのだ。
勿論、今の言葉も、この場だけのものかもしれない。普段の神威の行動を思えば、そんな場所に行きたがるとは到底思えない。
だが、本人にその自覚があるのかないのかわからないが、案外、神威は優しかったりするのだ。それも、がそれを欲しいと無意識に思っているタイミングで。
これだから、いつまでも神威の傍にずるずると居続けてしまうのだろう。手放してしまうには少々惜しい心地好さがあるのだから。
「……絶対だよ? 絶対に連れていってよ?」
「そんなに俺の言葉は信用ないかな?」
「そういうわけじゃないけど」
確かに信じられない気持ちもある。
けれども今は、神威が子供の頃の他愛のない言葉を覚えていてくれた事実が、には嬉しかった。たとえそれが、果たされない約束であろうとも。
それだけで、十分だ。
だから。
「…………ありがと」
今も昔も、そしてこれからも。
きっと神威は自分の傍にいて、そして手を差し伸べてくれるのだろう。
そんな気がして、は小さく微笑んだ。
<終>
青空に憧れる夜兎族の女の子。の話でした。
そして、割と振り回されてる神威。そのあたりはあまり書けませんでしたが。
この二人の、つかず離れず、の関係が好きです。
ちなみに万事屋には、この後、ターミナルあたりで連絡入れる予定です。
「またそのうちに遊びに行くから、それまで荷物置いておいてねー」
「うちは預かり所じゃねェ!!」
って感じで。
('12.11.24 up)
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