きっと、自分が何をしてしまったのか、わからないまま死んだのだろう。
目の前の男は、先程まで恐怖に引き攣っていた顔そのままに物言わぬ骸と化していた。
何の感慨も湧かない目でそれを一瞥し、血に濡れた刀を鞘に戻すと、高杉は踵を返す。
おそらく通り魔の犯行として処理されるであろう。殺される程の恨みを買うような人間ではない筈だ。世間一般的には。
―――そう。『一般的』には。
路地を抜け大通りへと出れば、天空に淡く輝く月が、夜の街を照らしていた。
まるで彼女のようだと思う。物静かで柔らかく、見る者の心を奪うくせに、手を伸ばしたところで届かない。こちらの気など知ろうともせず、ただ一人、高杉の世界を支配する彼女。
ふわりとした笑みを思い浮かべ、無性に会いたくなる。だが今夜は無理だ。血の臭いがする体で、彼女に会える筈もない。
どこか冷たく感じる光を浴びながら、高杉は夜の街へと足を踏み出した。
溺愛背反
「晋助、どうかしたの?」
「……なんでそう思う?」
「なんでって……なんか、変な気がしたから?」
返答が疑問形だと言うのは、実にらしいと思う。
自分の事だというのに、はっきりした答えが出せない、どこかぼんやりとした女。
それなのに、高杉の事は時に鋭く真相を突いてくるのだから、タチの悪い幼馴染でもある。
特に返事をした訳ではなかったのだが、どうやらは一人で納得したらしい。「どうもしてないなら、その方がいいよね」とふわりと笑う。
物静かで柔らかく、見る者の心を奪う。いつか見た月のように。
「そう言えばね。私が働いてるお店の店長が、辻斬りに遭って殺されたの。犯人はまだ見つかってないみたいで……晋助も気をつけてね。夜に出歩かない方がいいよ」
まるで見透かしたかのようなの言葉に、一瞬、ドキリと胸が騒ぐ。
人気の無い路地の奥。理由もわからずに凶刃を振るわれ無残に殺されたのは、彼女の勤め先の店長。殺したのは、他ならぬ自分。辻斬り本人に気をつけろとは、何とも皮肉な話だ。
本当にタチが悪い幼馴染だ。何も知らない筈だと言うのに、優しく、残酷なまでに、核心を突く言葉を放つ。
あの日の月と同じく、が全て見ていたのではないか、などとは戯言にもならない妄想だ。勿論、そんな事はあるわけもない。
「店長と言えば」
何気ない態を装い、へと手を伸ばす。
月とは違い、手の届く距離。けれどもそれは物理的な話だ。
が避ける事は無い。真白な肌に、ほんのりと色付いた頬。滑らかなそれに、ゆっくりと手を添わせる。
「あの怪我は、もう治ったみたいだな」
「怪我って言うほどの怪我でもなかったのに……晋助って大袈裟だよね」
それから心配性。そう言って笑うの瞳には、少しばかりの呆れが映っている。
お前が頓着しなさすぎるだけだろう。そう返せば、「だってただの掠り傷だったんだもの」と困ったように笑う。
だが、問題はそこではないのだ。問題は、その傷ができた経緯だ。
が誤って自分でつけてしまったのであれば、責めるべきは彼女のぼんやりした性格になる。
しかし、それが他人によってつけられたものであれば、話は別だ。それがたとえ故意ではなかったのだとしても。よりにもよって、の顔に傷を付けたのであれば、許される筈がない。それ相応の報いを受けて当然だ。
とは言え、すでに決着をつけたものに対して高杉は興味が無い。それよりも今は、に妙な傷跡が残らずに済んだ事に安堵する。
「それよりも晋助の方が、怪我しそうな事してるんじゃないの?」
気をつけてね。
頬に添えられた手を取ってそう言うは、一体どこまで知った上で心配しているのだろうか。
勿論、指名手配されている身だという事くらいは知っているだろう。だが、高杉からその話を持ち出した事はないし、が問い質してきた事もない。
ただいつも、心配そうな目を向けられるだけだ。こちらへと踏み込んでこようとはしない。
その事をもどかしいと思うのが身勝手な感情だとは重々承知している。仮に問い質されたところで、には何一つとして答えるつもりなどないだろうに。
それでも、何も聞いてこない事に苛立ちを覚えるのも事実だ。まるで、高杉に対して然程の関心を持っていないかのような気にさせられるのだ。答えたくはないが、問い質してほしい。どこまでも身勝手な二律背反が、高杉の心を苛む。
しかし現状を変えるつもりにならないのは、結局のところ、が綺麗すぎるからなのだろう。外見ではなく、その心が。綺麗なものは汚したくなる、という話はよく聞くが、あまりに綺麗すぎると触れることすら躊躇われるらしい。
だが、触れる事はできずとも、守る事はできる。綺麗な綺麗なの心を、その体を。傷つける者は、それが例え将軍であろうとも許さない。自身が知るところではなくとも。傍にいて、他の何物からも傷つけられないように、汚されないように。
何も知らないまま、綺麗なまま、ただ笑っていてくれればそれでいい。
只管一途に、愛しくてならないこの幼馴染を守る。それが、幼い頃から高杉が密かに誓っていた事だ。
「心配いらねーよ」
一番の近くにいて守るつもりなのだから、自身に何かあっては意味が無い。
そんな高杉の思考など知る事もなく、はほっとしたように笑みを浮かべる。
守りたい―――それは偽りなく本音であるし、この先も変わることのないものだ。
けれども。もし。万が一。の心が陰る事があれば。汚されるような事があれば。
傍にいて、真っ先にその手を引こう。迷うことなくその身を抱き寄せよう。
何も気付かず今日も呑気に笑っているに、胸の内で高杉は渇望する。
―――ああ。早くここまで堕ちてこい。
それは、狂気と愛情が背反する溺愛感情。
<終>
高杉さんに溺愛されたら、トチ狂った方向に突き進まれそう……
という、完全なるフィーリングで思いついたネタです。
これ、ヒロインが実は全部知ってたら面白いなぁ、と「愛情パンデミック」という曲を聴いていて思いましたが、思っただけです(笑)
('13.10.20 up)
|