「ごめんなさいもう飲みませんすみません許してください」
恋人が朝から洋式便座に抱きついて譫言のように繰り返す様を見て、土方は思う。
一体、どう反応するのが人として正しいのだろうか、と……
百年の恋が冷めても
「……オイ」
「え……う゛っ」
土方が声を掛けると、便座に抱きついていたがようやくその存在に気付いたかのように反応する。
が、しかしすぐに顔色を変えるや、またもや便座へと顔を突っ込んだ。
正直なところ、何も見なかったことにして今すぐ帰りたい。
それが土方の本音ではあったが、苦しそうにしているを放ってはおけないのもまた事実。
には聞こえないように溜息を吐くと、吐き続けているの背を擦ってやった。
「スミマセンごめんなさいもう飲みませ…や、ワインとカクテルをちゃんぽんしませ…や、ちゃんぽんしたら電車乗りません」
「飲むのかよ!?」
何故か便座へと向かって謝るのその言葉からするに、どうやら二日酔いらしいと言うことは察せられた。ついでに、あまり懲りていないであろうことも。もう少し学習能力があると思っていたが。
そもそも土方の知っているという女は、一歩引いた所に立ちながらも万事そつなくこなすような、出来すぎるくらいに出来た女だったはずだ。少なくとも、便座に抱きつくような真似はしない。というよりもそんな姿は想像すらできなかった。
そもそも、そんな想像、普通ならばするはずもないだろう。
「もう私、トイレと結婚しますぅ……」
「それを俺の前で言うか……?」
まだ酔いが残っているのだろうか。
それにした所で、仮にも恋人の前でその発言はやめてほしい。自分がトイレ以下の存在なのかと思えて哀しくなる。
ぼやいてみてもの耳には届いていないのか、もしくはそれどころではないのか。「あたまいたい……」と便座に突っ伏した。アルコールがまだ体内に残っているらしい。
勝手知ったるの自宅。台所へ向かうと、グラスに水を汲み、再びトイレへと戻る。相変わらずは便座に抱きついたままだ。
「ほら、飲め」
「はい……」
促せば、は大人しくグラスの水をこくこくと飲んでいく。
吐くときに生理的に出たのであろう涙で潤んだ瞳や、咳き込む苦しさでほんのりと赤みが差した頬は、それだけならば艶めいても見えるが、相手は二日酔い、何より場所がトイレとあっては色気も何もない。
「―――ふぁぁ…きもちわる」
「お前な、一言くらい礼を言ったらどうなんだ?」
勿論、土方とて礼を貰いたくて水を持ってきた訳ではない。
しかし礼よりも先に「気持ち悪い」と言われてしまっては、そろそろ苛立ちも限界に来そうだ。
「体調が悪い」と久々のデートをキャンセルしてきたを心配して見舞いに来てみれば、いたのは病人と言うより酔っ払い。体調が悪いのも自業自得ではないか。
だがそんな土方を他所に、はトイレの床に座り込んだまま、空になったグラスをぼんやりと見つめている。
ややあって、そのぼんやりとした瞳のまま、ゆっくりと顔を上げる。徐々に合う焦点。そして。
「ひ、ひ、ひひ土方さんっっっ!? ―――っつぅ…」
「もしかして、今まで気付いてなかったのか……?」
一気にその顔から血の気が引いたかと思えば、次の瞬間には痛みに顔をしかめている。どうも今日はの見たこともなかった表情をやたらと見せられている気がする。
「……トイレの神様って本当にいるんだって、思ってました」
表情だけでなく、思考回路もなかなか愉快だったようだ。どこの世界に、酔っ払いを介抱する神様がいるのか。
頭を押さえ、ぐったりとして呻くに、土方の方が頭が痛くなりそうだ。
の手からグラスを取り上げると、土方は再び台所へ向かう。蛇口を捻ってグラスを満たして、すっかりトイレの住人と化したの元へと戻れば、当のはまたもや便座へと突っ伏していた。
「まだ気分悪いのか?」
「……穴が無いのでトイレに流されたいです」
またもや愉快なことを言うに、土方は2杯目の水を渡す。受け取ったは、今度は「ありがとうございます」と礼を述べ、こくりと水を喉へと流し込んだ。
「どうだ、気分は」
「……もう今この瞬間に地球爆発してもいいかなって気分です」
例えの意味がわからないが、最悪だと言いたいのだろう。
に対して言いたい事は山のようにあったが、この世の終わりかのように絶望的な顔をされてしまっては言葉を飲み込むしかない。その代わり、今度はに聞こえるように溜息を吐く。びくりとの肩が跳ねるのがわかったが、それくらいは意趣返ししても良いだろう。
「とりあえず、寝てろ」
「はい……ぅきゃぁぁっ!?」
を抱き上げると悲鳴をあげられたが、自分のその声が頭に響いたのか、すぐに顔をしかめて頭を押さえている。
今の内にと、を運んだ先は寝室。案の定、寝乱れた後の布団が敷きっぱなしになっていた。時と場合によっては酷くそそられる光景の筈だが、流石に今はそんな気分にもならない。
を布団へと寝かせると、未だ後生大事に持っていたグラスを取り上げ、台所へ水を注ぎに行く。
とにかく水分を取らせてアルコールを分解させるしかないのだ。
「……あの。嫌いに、なりました?」
水を持って戻った途端、布団の中から半分だけ顔を出したに問いかけられる。
あまりにも唐突な言葉に、何の事かと土方は一瞬考える。が、すぐにこの一連の事かと気付いた。
問われれば、呆れた事に違いはない。確かに、百年の恋も冷めるだろう。
だが、『嫌う』とは違うようにも思う。第一、今にも泣き出しそうな目を向けられて尚、突き放すような言葉を吐けるはずもない。
呆れはしたが、放ってはおけない。『馬鹿な子ほど可愛い』というのは、これと似たような心境なのだろうかと、関係の無いことを土方はちらりと考える。
だが、それを素直に伝えるのは癪に障る。
「そんなもん、自分で考えろ」
言うや、の枕元に水を置きがてら座り込む。
突き放したかのような言葉とは裏腹に、布団から覗く頭を優しく撫でてやれば、訳がわからないといったようにが目を瞬かせた。
この態度から察せられそうなものだが、アルコールの残る頭ではわからないものだろうか。
まぁ暫くは悩めばいい。それが二日酔いなんかを理由にデートをキャンセルされた土方の意趣返しだ。
「……土方さん」
「なんだ」
「ありがとうございます。あと、好きです」
「…………」
せっかくの意趣返しの筈が、どうやらあっさりと察してしまったらしい。
おまけに不意打ちの告白ときたものだ。わざとやっているのかと疑いたくなる。
赤くなった顔を見られないよう背けながら、ちらりと横目での様子を伺えば、自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、頭まで布団を被ってしまっていた。
そんなを可愛いと思ってしまってから、土方は気付く。
苛立ちもし、呆れもしたが、落ち着いてしまえば結局のところ、全部許してしまうのだから、とことん惚れ込んでしまったということだろう。
百年の恋は冷めても、愛は冷めないらしい。などと少々クサい思考は自身の内に留めておくことにして。
さて、二日酔いが解消したら、一体どうしてくれてやろうか。そんなことを土方は思うのだった。
<終>
二日酔いで、トイレで便座抱えて謝り倒したのは私です。
白澤様と同じ事してるということに気付きましたが、とりあえず反省はトイレでしますよね、確かに(笑)
でも、二日酔いが解消されると、その反省も飛んで無くなる訳ですが……
('14.03.23 up)
<おまけ>
「お前な。なんでよりによって昨夜、こんなになるまで飲んだんだ?」
「………………から」
「あ?」
「だ、だからっ! 明日土方さんと久しぶりにデートって思ったら落ち着かなくてお酒飲んで気紛らわせようかと思っ…いたたた……」
「……治ったら覚えてろよ」
「え? なんですか?」
「なんでもねーよ」
|