花守



「『願くば花の下にて春死なん』、か……」
「『その如月の望月の頃』?」

一人ごちた言葉にまさか応えがあるとは思わず、驚いた高杉が周囲を見回せば、まるで悪戯に成功したと言わんばかりの笑みを浮かべて、がそこに立っていた。
夜も更け、昼間の戦いの疲れを少しでも癒すために誰もが寝静まるこの時間。
一体何をしているのかと思うが、それは自身にも当てはまることかと高杉は口を閉じる。
だが、戦場の片隅にしっかりと根を張るこの桜。今を盛りと咲き誇る姿に、気付けばふらりとやってきていたのだ。
その下に座り空を見上げれば、暗い夜空に架かる月は満ち、見事に花を咲かせた桜を青白く照らしている。
それは、幻想的な光景。
ふと口をついて出たのは、あまりにも有名な歌。しかし、この光景を見てしまえば、そこに込められた思いもわかるような気がする。

「西行なんて知ってたんだ」
「お前もな」

失礼極まりない事を言うに同じように返せば、存外にも「この歌だけだけどね」と苦笑されただけであった。
突っ掛かってくるものと思いきや、意外な反応に驚くものの、それに対する軽口は出なかった。の態度が常とは違うことに戸惑ったせいか。
そのは高杉の傍まで歩み寄ってきたが、かと言って同じように腰を下ろすわけでもない。
立ったまま頭上の桜を見上げ、感嘆の息を漏らす。

「辛気臭い歌だな、っていつもは思うんだけど」

桜から目を逸らすことなく、は続ける。

「最後にこんな綺麗なもの見て死ねるなら、それはどれだけ幸せなことなんだろう、って。この季節だけは、そう思っちゃうの」

高杉の位置からは、がどんな表情でそんなことを口にしたのかは見えない。
しかし、その声が微かにではあるが震えていることはわかった。
日々、仲間の死に直面する日常。
己だけは大丈夫だと、誰が思えるだろうか。
それでも、各々が信じるもののために、死と背中合わせの日常へと足を踏み入れる。それは、死に方の選択肢などある筈もない世界。
の言う通り、最期にこの光景を目に焼き付ける事ができるのであれば、それは幸福な事に違いない。望月さえも背景にして、月明かりで青みを帯びた桜が夜空の下に咲き誇る光景は、まるで極楽へ続いているかのようだ
その美しくも幻想的な光景の中にあっては、何もかもが夢幻と錯覚しそうだ。例えば、横に立つの存在も。
そんな思考が過ったせいか。気付けば高杉はの手を引いていた。
抵抗することなく腕の中に収まる身体。その温もりに、の存在が現実のものと知れ、高杉は安堵の息を溢す。
普段であればとっくに大騒ぎしそうなも、何かを悟ったかのように珍しくも大人しい。

「……まぁでも、当分死なないけど、私」

冗談めかそうとして失敗したかのような。ポツリと落とされたその言葉に根拠など無いことは、高杉も自身もわかっている。
だが、それでも良かった。

「俺も当分死なねェがな」

上っ面だけの言葉が宙に舞う。
どこに真実があるかなど、問い質すだけ無駄だろう。今は刹那に儚い幻想に酔いしれるだけだ。
ただ確かなのは、腕の中にある温もりの存在。それだけで満たされるかのような。

勿論、高杉とて死ぬつもりなど更々ない。
西行の歌とて、特段の意味があって口にした訳ではない。
それでも。もし自身が死ぬ場面を選べるのだとしたら、今この瞬間が良い。幻想と真実の狭間の、この瞬間に。

見上げた先、風に吹かれた花弁がひとひら、宵闇へと消えていった。



<終>



ちょい時期外れですが。
そしてとっても短いです……何を書きたかったのかもわからない、完全なる雰囲気小説です。

とりあえず、夜桜の見事さというのは、私の持ってる語彙なんかでは表せないな、と思いました。
語彙力が欲しいです。。。

('14.04.13 up)