噂というものは、悪いものほど流れるのも早い。
 
人の噂も七十五日。
 
とはいえ、我慢の限度がある噂というものは、往々にしてあるもので。
 
 
 
 
ねらいうち



 
バシンッ、と乱暴に障子が開かれる音。
唐突に室内に響いたその音に、普通ならば驚くものを、その時室内にいた二人は特に驚くでもなく、ゆっくりと振り向く。
 
「まさに鬼のような形相で、どうしたんですか。鬼副長」
。それは鬼に悪いってもんでさァ」
「あ。鬼の方が可愛げがあるって?」
 
そう言ってけらけらと笑うのは、真選組内唯一の女隊士・
隣で寝そべって相槌を打つのは、真選組隊長・沖田総悟。
常であっても頭痛の種にしかならないこのコンビ。
今の土方にとっては特に、最悪の存在でしかない。
が、それを自覚しているかのように、二人は痛いところを突いてくるのだ。
 
「あ、もしかして、アレのせいですか? 今、江戸中にものっそい噂流れてますよね」
「俺と土方さんがデキてるってヤツですかィ?」
「で、実際のところはどうなんですか?」
「そうですねィ……土方さん。飯にしやすかィ? 風呂にしやすかィ? それとも、俺ですかィ?」
「うわっ、キモっ! キモすぎっ!! きゃはははっ!!!!」
「テメェェらぁぁぁっ!!! いい加減にしやがれェェェ!!!!」
 
ついにキレた土方が怒鳴っても、二人には馬耳東風。
は腹を抱えて笑い転げ、沖田はにやにやと笑いながら煎餅をパリンとかじる。
だが、土方の不機嫌の筆頭理由は、まさにの言葉通り。
いつのまにか、町中に流れているその噂。
おかげで、見廻りに出るたび、後ろ指を指されるわ、汚い物を見るかのような目で見られるわ、どういうわけだか男から流し目を送られるわ。
これで不機嫌にならないはずがない。
更にこの二人からいい笑い者にされているとなれば、その不機嫌指数は最高値を更新し続ける。
だが、土方が再び怒鳴る前に、二人ともぴたりと笑いを止めた。
この絶妙なタイミング。
何か謀られているとしか思えないタイミングに、怒りの矛先は目的地を失う。
怒鳴るに怒鳴れなかった言葉は飲み込むしかなく、そのうちに消化不良を起こしかねない。
 
「まぁでも、副長が不機嫌なのは困りますね」
「いつものことじゃないですかィ。土方さんの仏頂面は」
「仏頂面はそうでも、不機嫌オーラはもはや公害ですよ」
 
珍しくも真面目な表情をしたの言葉に「違いねェや」と頷く沖田。
思わず土方は斬りかかりたくなる衝動を覚えたが、その衝動が表に出る前に、がピッと人差し指を立てた。
 
「で、私にいい考えがあるんですよ。副長」
「あ?」
「噂が嘘だと、町中に知らしめればいいんですよ。
 ぶっちゃけた話、彼女作って既成事実作って、ホモじゃないってこと証明すれば」
「……テメーにしちゃ、まともな事を言うじゃねーか」
 
既成事実だの何だの、不穏当な単語を除けば、言っていることは確かに真っ当ではある。
真っ当で、手っ取り早い方法。
問題は、今の土方に、そういう相手はいないという事くらいか。
それを見透かしたかのように、沖田は「駄目ですぜィ、。最近の土方さんは、日照り続きでさァ」などと言う。
腹の立つ言い方ではあるが、確かに事実。
だがは、「問題無いです」と口にして。
 
「という訳で、副長。
 仕方ないから、私が愛人にしてあげますよ。これで問題はズバッと解決っ!!」
 
何故か自信たっぷりに、は親指を立ててみせる。
その隣では、寝転がったまま、やはりにやにやと笑っている沖田の姿。
頭痛を覚えるしかない土方は、ある確信を得たついでに、真っ先にこの部屋にやってきた理由も思い出す。
ただでさえ機嫌の悪い時に、ますます悪化させるようなこの二人のところに、誰が好き好んでやってくるものか。
当初の目的を思い出した土方は、軽く息を吸う。
そして。
 
「テメェらか!!! テメェらが諸悪の根源かオイィィィィ!!!!」
 
しかし、それを予期していたかのように、は両手で耳を塞いでいて。
沖田は、塞ぎこそしなかったものの、土方の怒声などどこ吹く風とばかりに、煎餅の袋に手を伸ばしている。
 
「バレちゃいましたよ、沖田隊長」
の言い方が直球すぎたんでさァ」
「次の課題は変化球ですか」
「『次』とか言ってんじゃねェェェ!! やっぱりテメェらの仕業だったんじゃねーか、この腹黒がァァァ!!!!」
 
どれほど怒鳴ったところで無駄だとわかっていても、それでも怒鳴らずにはいられない。気が済まない。
が、意外に無駄ではなかったのか。
それまで、すましているかけらけら笑っているかのどちらかだったが、ムッとした表情を見せた。
の反論を予測し、一瞬、土方は身構えたものの。しかし。
 
「失礼な!
 男が股間にイチモツ持ってるんですから、女が腹に一物や二物、持っていたっていいじゃないですか!」
「そういうことを女がさらりと言ってんじゃねェェェ!!!」
 
―――やはり無駄だったらしい。
いくら怒鳴ろうとも何をしようとも、沖田は元より、も反省などしないのであろう。
挙句の果てに、逆ギレされている。しかも、関係の無いことで。おまけに、下ネタで。
男所帯にいるのだから、多少のことは仕方が無いのかもしれないが。
それにしたところで、ある程度の慎みといったものは、是非とも持っていてもらいたいものである。
睨みつけてみても、他の隊士ならば竦み上がるのであろうが、は平然として「だって」と口ごたえを始める。
 
「私、こんなに可愛くてスタイルもよくて」
「自分で言ってんじゃねーよ」
「愛人の十や二十、いたっていいじゃないですか」
「よくねェだろ」
「もちろん愛人一号は、世界一の男がいいなぁ、とかなんとか」
「テメーに褒められても嬉しくねェんだよ」
「でも局長を弄ぶのはあまりに哀れな気がしたので、対象外にさせていただきました」
「俺も対象外にしろよ」
「人生、長いようで短いんですよ? 一度くらい、女に弄ばれちゃってくださいよ。このスケコマシ」
「誰がスケコマシだコラァァァァ!!!!」
 
微妙に、かみ合っているのかいないのか。
掛け合い漫才のような二人の会話に、横で寝そべっている沖田は、やはりにやにやと笑ったまま。
そんな沖田に不意に顔を向けたは、「沖田隊長は二号さんでお願いしますね」などと言う。
土方にしてみれば実に人を馬鹿にしたかのようなその発言に対し、しかし沖田は「に頼まれちゃあ、イヤとは言えないでさァ」と笑っている。
まさに、正気の沙汰とも思えない、この状況下。
またもやバリンッと音を立てて割られた煎餅のその音すら耳に障る。
そんな土方を嘲笑うかのように、は指を折り始めた。
 
「これで二号は沖田隊長で決定でー、三号は万事屋の銀時さんに了承貰っててー、四号は山崎に頼まれたしー……そのうち、攘夷志士の方々も愛人にしてやりますか」
「テメー……真選組としての自覚はあるのか?」
 
至極真剣な顔で名前を挙げていくに、土方は頭を抱えたくなる。
そもそも、ここに来たのが間違いだったのかもしれない。
文句の一つでも言わなければ気が済まないと意気込んでいたはずが、ますます頭痛の種を抱え込むことになっている。
 
「愛人一号の座は副長のために空けておきますので、いつでもどうぞー」
 
その頭痛の種が、へらりと呑気に笑ってそんなことを言う。
いっそ叩き斬ってしまえば楽になれるのかもしれないが、もはやそれだけの気力も残っていない。
そんな土方にできることは、ただ一つ。

「……勝手に待ってろ。永久にな」
 
せめて見下した目でもってそう口にすると、二人の反応を待つことなく土方は部屋の外へと出た。
入ってきた時と同様、音を立てて勢いよく障子を閉めたものの、たかが障子。声を潜めるつもりがなければ、室内の会話は外へと筒抜けである。
 
「……副長、行っちゃいましたよ」
「あの人はカルシウムが足りないんでさァ」
「こうなったら、マヨネーズまみれになって死んでしまえ」
「愛人にするんじゃなかったんで?」
「死に際になって助けてあげたら、愛人になってくれないですかね?」
 
室内から聞こえてくる会話は、聞こえない振りをする。
腹を立てて部屋に舞い戻れば、またもや同じことの繰り返しになることは目に見えている。
 
「……なんで俺ばっかこんな目に遭わなきゃなんねェんだ……?」
 
答えなど、出ようはずもないが。
頭を掻き毟ると、せめてこの憂さを晴らすべく、土方はミントンに夢中になっているであろう山崎を探しに出ることにした。



<終>



土方さん苛めるの好きなのか?
関係ないですが、隊長とか副長とか、そんな肩書きで呼ぶことに最近萌えてます(馬鹿)
あ、BGMは山本リンダの「狙いうち」で(笑)