桜並木の下で逢いましょう
春爛漫。
そんな言葉を象徴するかのような、一面の桜色。
こぼれ落ちそうなまでに満開となった桜が、川縁も、川面をも支配するその光景に、道行く人々は足を止めずにはいられない。
そこに、男が一人。
桜並木にはお世辞にも相応しいとは言えない、黒一色の洋装。
目つきもよいとは言えないその男―――土方は、しかし桜に見惚れるでもなく、ただ一点を見つめていた。
土手の上、一本の桜の木の根元で眠る、少女の姿を。
事の起こりは、一本の電話。
見廻りの最中に、局長である近藤から携帯に連絡が入り、事件かと思えば。
何のことは無い。
「買出しに出かけたちゃんが帰ってこないんだよォォ!! もう一時間も経ってるのにィィィ!!!」
ただそれだけのことであった。
真選組で女中として働くは、紅一点ということもあり、やたら隊士から過保護にされる傾向にある。
近藤がその筆頭であることは、電話の件からして言うまでもない。
放っておけば真選組全体を動かしかねない近藤の剣幕に、仕方無しに、見廻りのついでに探すと伝え。
そして現在に至る。
今この時、真選組内で起こっている騒ぎなど、は露とも知らないのであろう。
すやすやと、呑気そうに眠り込んでいるが、いっそ憎らしくもある。
買出しの帰りなのだろう。中身の詰まった買物袋二つを隣に置いて。
穏やかな春の昼下がり。この景色と気候では、確かに眠たくなるのも道理ではある。
だからといって、仕事中に寄り道をした挙句、眠りこけるといったのはどういった了見なのか。
しかし、小言を言おうにも、当の相手は夢の中。
何はともあれ起こすべきかと、土方はの隣にしゃがみ込んだ。
「オイ、。起きろ。こんなとこで寝てんじゃねーよ」
声をかけてみるも、しかしは反応を見せず。
次に身体を軽く揺すってみるも、「ん……」と息を漏らしただけで、目を覚ますまでには至らない。
相手が女だということで多少の遠慮をしていた土方ではあったが、このままではは起きないだろうことを悟る。
だが起こさなければ、今頃屯所では近藤が大騒ぎであろうし、買物袋の中身も、放置しておくわけにはいくまい。
仕方なく、今度は少し強めにの身体を揺する。
「! オイ、いい加減にしろよ、コラ!」
「ぅ……ん〜〜……」
さすがに目が覚めたのか、の目がゆっくりと瞬きを始める。
寝起きのためかぼんやりとしているものの、それでも自分を起こした人物を確認するためか、首を回し。
土方の姿を確認するや、はふにゃりとした笑顔を見せた。
思わず気が抜けるような、だからこそ邪気も何も無い、そんな笑顔。
実年齢よりも幼げに見えるその笑顔に、一瞬、土方は見惚れてしまった。
「あ〜……ひじかたさんら〜〜……」
舌足らずの声は、起き抜けであるせいなのか。
まだどこかぼんやりとした瞳でじっと土方を見つめると、不意にが土方へと倒れこんできた。
「っ!? お、オイっ!!?」
突然、の体重を預けられ、倒れこみこそはしなかったものの、土方は尻餅をつく格好となる。
腕の中には、の身体。
「あったか〜い…」と、ぎゅっとしがみついてくるそのの身体こそ、温かく感じられる。
おそらく、まだ寝ぼけているのであろう。普段のは、こんなことはしないはずなのだ。
感じずにはいられないの体温に、立ち上る香りに、舌足らずの甘い声に。土方は、自身でもわかるほどの動揺に襲われた。
そんな折、ふわりと風が吹く。
舞い散る桜の花びら。
一種幻想的とも思える光景にふと見上げれば、けぶるような一面の桜。見事な咲き誇りぶりは、目眩を覚えるほど。
もしかしたらは、この桜に酔ってしまったのではないか。
そう思わせるほどに、川縁に並び立つ桜は、どれも今を盛りと咲き乱れている。
だが、眠りも酔いも、それは所詮は一時。いつかは醒めるもの。
が土方に抱きついていたのは、ほんの数瞬。それでも土方には、数瞬どころか数分、それ以上に感じられたのだが。
我に返ったは、がばっと身を起こすと、まじまじと土方の顔を見つめ。
次の瞬間には、真っ赤になって身を離した。
「す、すみませんっ、すみませんっ! ごめんなさいっ!! あ、ああ、ええと、わ、私、何をやって……っ!!?」
「……やっと目が覚めたかよ」
動揺を悟られたくないがために、わざと冷たく言い放ったものの、どうやらそんな必要も無くの方が動揺しているらしい。
わたわたと慌てながら、「すみませんっ! ごめんなさいっ!!」と、ただただ謝り続ける。
土方にしてみれば、そこまで謝られるほどのことをされたわけでもないのだ。
「落ち着けよ」とに促しながら、土方もまた自身を落ち着けるために煙草を取り出した。
「で? 買出しの帰りに道草か?」
「い、いえ、その……すみません」
しゅん、とうなだれるに、土方の方がやや罪悪感を覚えてしまう。決して、間違ったことを言っているわけではないというのに。
だが、まさに今が見頃と言わんばかりの見事な桜。
思わず足を止めてしまったのだとしても、それはそれで仕方の無いことなのであろうか。
そこで眠り込んでしまったあたり、買出しという仕事の最中であったという自覚は、あまり無かったのかもしれないが。
再び、風が舞った。
惜しげもなく舞い散る桜の花びら。
目の前で踊った花びらにつられたように、はそれを眩しそうに見上げる。
「なんだか……くらくらきちゃったんです」
「は?」
「酔いしれるって、こんな感じなんですかね」
うっとりと。残念そうに。夢見心地で。もの悲しそうに。
川辺の青草の上に舞い落ちる桜よりも。水面に微かな波紋を起こす風よりも。青い空に舞う花びらよりも。
相反する表情を浮かべてそれらを見つめるの姿にこそ酔いしれそうな自身に、土方は気付く。
しかし同時に、が今にも消えてしまいそうな、儚げな存在にも感じられ。
土方は思わず、その肩に手を伸ばす。の存在が現実だと、そう確かめるかのように。
「? 土方さ―――っ!?」
きょとんとして首を傾げたの問いかけは、しかし最後まで発せられることはなかった。
その言葉が発せられなかったのは、紡ぐための口を塞がれたため。
そして、口が塞がれたのは―――唇を、重ねられたため。
それは、ほんの一瞬の出来事。
けれどもその一瞬は、の頬を染めるには十分すぎるほどの時間で。
その出来事は、土方の顔を赤くするには十分すぎるほどの行為。
それでも、仕掛けた側になる土方の方が、さすがに立ち直りは早かった。
顔こそ赤いままではあったものの、手に持っていた煙草を銜え直し、の隣にあった買物袋を勝手に手に取ると、さっさと立ち上がる。
「―――帰るぞ」
「あ。は、はいっ!」
土方が歩き出すと、も慌てたように立ち上がり、小走りで追いついてくる。
ほのかに顔を赤らめて、会話も無く歩く二人。
しばらく歩き、桜並木が途絶えるかというところで、ようやくが口を開いた。
「―――あの。土方さん」
「なんだ?」
「また……よかったら、その……ここに、桜を見に来ませんか……?」
消え入りそうな小さな声ではあったが、それでも土方の耳にははっきりと届いた。
驚いてそちらに目を向けると、真っ赤になったと目が合う。とはいえ、すぐには恥ずかしげに俯いてしまう。
だが、一瞬なりとも見えた表情が、そして今の言葉が。が抱いているであろう感情を明確に表していた。
読み違えでなければ、の話ではあるが、それでも土方は確信していた。半ば希望から来る確信ではあったのかもしれないが。
逸る心を落ち着かせようと、煙草を深く吸い、ゆっくりと煙を吐き出す。
「お前と二人だって言うなら、考えてやるよ」
「……え?」
思わず足を止めてしまったにつられて、土方もまた足を止める。
どうやらにも、土方が言わんとしていることがわかったらしい。
どのような反応が返ってくるか。実のところ不安もあった土方なのだが、それは杞憂に過ぎなかった。
「……嫌か?」
「い、いえっ! そんなことっ!!
二人でいいです! いえ―――二人が、いいです……」
消え入りそうな声。はにかんだ表情。
その声に、その表情に。土方は、とりあえずのところは満足する。
「帰るぞ」
「はいっ」
そして、先程までよりは少しだけ近い距離で並んで歩きながら。
次にとこの桜並木の下に来た時は、どのような言葉が聞けるのかを、土方は思った。
<終>
2233HITの申告をいただきました伽章さまのリクで、「土方さんで、甘いもの」だったのですが。
……意識して書こうとすると、何が甘くて辛いのか、よくわからなくなってまいります。
こ、こんなものでよろしければ、お納めくださいませ。
キリ番申告&リクエスト、どうもありがとうございました!
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