一瞬の、その後に
真選組屯所、その入口。
今、一人の女が、その前を行ったり来たりしていた。
時折、屯所の中を覗き込むが、すぐに慌てたように通り過ぎ。
そしてまた、戻ってくる。
挙動不審なこと、この上ない。
隊士に話しかけられても「い、いえ! 何でもないです!」と走り去ってしまう。
それでまた戻ってくるのだから、一体何をしたいのか。
局長か副長に報告した方がよいのだろうかと、その女の行動を見ていた隊士たちが結論づけようとした、その時。
「娘さん。真選組に、何か用ですかィ?」
「ひゃあっ!!?」
市中見廻りから戻ってきたところなのだろう。
沖田が、女の背後から話しかけた。
驚いて悲鳴をあげた女だったが、振り向いて、そこに物腰の柔らかそうな人物がいることに、安堵する。
先程までは、誰が話しかけても逃げ出していたというのに。
どうやらそれは、強面の隊士たちに怯えていただけのようだ。
用件を問い質す沖田に、女は思い切ったように口を開く。
「あ、あのっ! こちらに、土方さん、という方は」
「ああ。土方さんなら、中にいるはずですぜィ」
呼んできましょうかィ、という沖田の言葉に、女は大きく頷いた。
「お、お願いします!
あっ。だと言っていただければ、わかるはずです! 多分……」
勢い込む女―――の様子は、よくいる土方に懸想する娘のものとは、明らかに違っていて。
これは面白いことになりそうだと、内心、沖田はにやりと笑った。
* * *
「―――ああ、アンタか。わざわざ悪かったな、屯所まで」
呼ぶよりも行った方が早いと、沖田に引きずり込まれるようにして屯所内に導かれた。
周囲の視線に身を竦ませながら、連れてこられたのは、土方の部屋。
沖田に案内されて、というのが土方にはやや気に入らなかったものの、それでも平静を装って財布を取り出す。
「それで、コンタクトの代金はいくらだ? ここに来れたということは、もう買ったんだろ?」
だが、はぽかん、と口を開けたまま、何の返答もしない。
訝しく思った土方が「おい?」と呼びかけると、ようやく言葉を発した。
「あ、あの……土方さん、なんです、か……?」
「は? アンタ、何言って……」
「そうですぜィ。さん。この人が正真正銘、鬼副長の土方さんでさァ」
「テメーは一言余計だよ」
土方が睨みつけても、沖田はそ知らぬ顔。
だが、二人に駄目押しのように肯定されたは、わなわなと震え。
「……き、聞いてません!!」
「は?」
突然のの叫びに、土方も沖田も目を丸くする。
一体どういう意味だと問い質す前に、しかしが再び叫んだ。
「聞いてないです! 土方さんが、こんなにかっこいいだなんて!!」
真っ赤になって叫ぶ。
だが、それに負けず劣らず、叫ばれた土方も顔を赤くしていた。
まさか、正面から「かっこいい」などと言われるとは、思うはずもない。
不意打ちの台詞に、どう対処してよいのかわからなくなる。
ただ、わかるのは、ゲラゲラと笑い出した沖田を追い出すべきだと、そのことだけである。
「テメーは笑ってねェで、さっさと近藤さんとこへ見廻りの報告でもしてきやがれ!!」
「そうさせてもらいますぜ。
ああ、さん。アンタ、男の趣味は最悪ですが、それでも最高ですぜィ」
「いいから行け!!」
「ああ、きっちし報告させてもらいまさァ。土方さんに彼女ができたってね」
「余計なこと報告してんじゃねェェ!!!」
笑いながら沖田が部屋を出て行けば、後に残るのは当然、土方と。そして静寂。
二人ともに顔を赤らめ、沈黙を保っている。
だが、いつまでも沈黙に浸っていては、身動きがとれない。
何をどう言えばいいのか。土方は悩んだ挙句、に腰を下ろさせ、当初の用件を済ませることにした。
「……で、いくらだったんだよ。コンタクトは」
「えっ! あ、あのっ、その………こ、これが、領収書、で……」
が差し出した領収書に書かれた金額は、さほど大きな金額ではない。
土方は財布から無造作に金を取り出すと、に手渡した。
その額は、明らかに領収書の金額よりも多いもので。
戸惑うに土方は「迷惑料だ。素直に貰ってろ」と、半ば強引に押し付ける。
しかし、これで本来の用件は終わってしまった。
普通ならばここで、入口まで送るなり何なりして帰すだけである。
だが、すぐに帰す気には土方はなれなかった。
が腰を上げないのをいいことに、帰すための言葉をかけることをしない。
そのかわりに煙草に火をつけ、一つ、息を吐く。
これで普段の冷静さを取り戻せるような気になれるのだから、習慣とは実に便利なものである。
もしくは、自分が単純なだけか。
どうでもいいことを考えながら、土方は口を開いた。
「―――さんよ」
「は、はいっ!」
「アンタあの時、俺の顔を馬鹿みたいにジロジロ見てたじゃねェか」
それでどうして今更驚く必要があんだよ―――土方が言うと、は「はぁ」と気の抜けた返事をする。
「見たんです。見たんですけど」
「なら」
「でも私、一度見ただけの人の顔は、次の日には忘れてることがほとんどで……」
「……意味ねェじゃねーか。それ」
「……ですよね」
しゅん、とうな垂れる。
だが、次の瞬間には「で、でもっ!」と再び顔を上げる。
「でも、もう覚えましたから! 次はちゃんと覚えてます!! 次は……って……」
力の限りに断言しながら、その言葉尻はすぐに最初の勢いを無くしていく。
今度は何の問題があるというのだろうか。
呆れたような、それでいて面白いような。
そんな面持ちで、土方は煙草をふかして次のの言葉を待つ。
「……別に、次があるわけじゃ、ないですよね……」
またもやは、しゅん、とうな垂れる。
その表情には、何か意味があるのだろうか。
勘繰ったところで、しかし答えが得られるものでもない。
だが。
―――意味が無いのであれば、作ってしまえばいい。
利己的な考えだと自覚しながら、土方はまだ長さの残る煙草を押しつぶす。
「―――なら、賭けてみるか?」
「はい?」
不敵な笑みを浮かべる土方の言葉に、は小首を傾げる。
「次が無ければ、アンタの勝ち。逆に、次があれば俺の勝ちだ」
「はい?」
それは、賭け自体、成立しないような賭け。
『次』など無かったとしても、自分で作ってしまえばいいのだ。その機会を。
土方にしてみれば、負けようのない賭け。
賭けとしての意味を持ち得ない、そんな賭け。
「ああ。次があっても、アンタが俺のことを忘れてたら、アンタの勝ちだな」
は、未だ言われていることの意味がわかっていないらしい。
小首を傾げたまま、その表情に疑問符を浮かべている。
だが、その方が土方にとっては好都合。
恋愛沙汰の駆け引きは、先に主導権を握った方が有利になる―――はずだ。
「まァでも、俺も負けるつもりは無いんでな。念には念を入れて、俺の顔を忘れられねェようにしてやるよ」
始まりは、その笑顔に魅せられたあの一瞬。
深みに嵌められたのは、頓狂なあの一言。
引き返せなくなったのは、勘繰りたくなるような、あの表情。
色恋は、先に惚れた方が負けだと言う。
ならばせめて、主導権くらいは握っておきたいではないか。
「は、はいぃっ!?」
土方に腕を掴まれ、引き寄せられ。
ようやく自分の置かれている状況がわかったのか慌てるだが、もう遅い。
すでにその身体は、土方の腕の中にすっぽりと収められていた。
くい、とその顎を持ち上げれば、耳まで真っ赤に染めあげられている。
「せいぜい、目ェ開けとくんだな」
「ひ、土方さ―――っ!!?」
慌てふためくの意志を無視して、土方は口吻けようとする。
そして、今にも唇が重ならんとして―――
「トシーっ!! 彼女できたんだってなぁぁっ!!?」
バンッ、と力の限りに、部屋の障子が開けられる。
それと同時に降ってきた声は、間違えようもなく、真選組局長・近藤のもの。
だが、何事も豪快に笑い飛ばせる近藤も、今の土方との姿を見て、まずい場面に来てしまったとさすがに悟ったらしい。冷や汗を一筋流している。
「……わ、悪かった。トシ……」
「……いや。アンタは悪かねェよ」
真っ赤になったまま硬直しているの身体を離し、土方はゆらりと立ち上がる。
その手には、いつの間にか抜き身の剣を持ち。
とは対照的に青くなって硬直している近藤の横を通るその姿からは、確かに殺気が感じられたと、後に近藤は語る。
「―――総悟ォォォ!! どこ行きやがったァァァァ!!!??」
元凶と思われる、いや、確定している人物の名を叫ぶ土方の声が、屯所内に響き渡った。
<終>
沖田さん絡むと、どうも土方さんは幸せになれないようです。
途中までは、わりとかっこよかったと思うんですけど……一応。
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