すべては一瞬から
二度あることは三度ある、とはよく言ったものだ。
なかなかどうして、昔の人間の言葉も馬鹿にはできない。そこには往々にして真理が含まれていたりする。
そんなことを土方が思ってしまうのは、隣を歩くのせいだ。
隣というよりも単にその腕を引いているだけ。歩くというよりも歩かせているにすぎないのだが。
引かれるままに歩いているは、どこか危なっかしく足元をフラつかせている。足を緩めたのだが、それでも直ることはない。
二度あることは三度ある―――要するにまたもコンタクトを落としたのだ。
一度目は土方が踏んでしまって壊してしまい。二度目はその前に拾い上げることができ。そして今回、三度目は、見知らぬ通行人に踏まれてしまったらしい。
途方に暮れているを、見廻り中だった土方がたまたま見つけたのだ。
どうもこんな場面に出くわしてばかりだ。
ここまで来るとコンタクトはには合わないのではと思うのだが、本人が眼鏡はイヤだと言うのだから仕方がない。お陰で立ち往生するを土方が家まで連れていかねばならなくなるのだとしても。
だが、手間ではあっても決して面倒だとは思えないあたり、重症だと土方も自覚はしている。抗うだけ無駄だろう。こと恋の病に関しては。
「土方さん。お茶飲んでいきませんか?」
家まで送り届けると、が上目遣いで尋ねてくる。本人は無自覚なのであろうが、その仕種に一瞬くらりと来る。
しかしは自分で尋ねておきながらもそんな土方の返答を待つ気はあまりなかったようで。未だ掴まれたままであった腕をそのまま引き、半ば強制的に家へとあげてしまう。
完全に誘っているとしか思えないの行動。だがこれもまた無自覚なのだろう。
一度でいい。無知であることの罪科というものを懇々と諭してやりたい。毎度の事でありながら、土方はそう思わずにはいられない。とはいえ、一度たりとて諭せたことなどないのだが。
さすがは勝手知ったる自宅。お世辞にも良好とは言えないだろう視界ながらも、は先程までとは違って自信たっぷりの足取りを見せるのだが。
「じゃあ座って待っててくださいね」
そう言っておそらく台所へと向かおうとしたは、小さな段差に足を引っ掛けてあわや転びそうになっている。
目が悪い云々よりも先に、単純にどこか抜けているだけではないかと最近になって土方は思い始めていた。
そう考えれば、簡単には落ちないはずであろうコンタクトをやけに落とすことにも納得がいく。
それが悪いというつもりは毛頭無い。
完璧な人間など何の面白味も無い。むしろその程度は愛敬だろうと土方は思う。多分に惚れた欲目もあるのだろうが。
惚れた欲目。
ならばはどう思っているのだろうか。
付き合えと初めて言った時には、「どこにですか?」などと真面目に呆けた返答をされて肩を落とし。
その後改めて同じ言葉を繰り返し、おまけにその意味まで説明をする羽目になったが、その甲斐あってかは真っ赤になって頷いてくれたものの、その時には土方の方も顔が火照っていた。何せに理解させるために、歯の浮くような単語まで口走る羽目になったのだ。二度と口にするかと心に決めたほどだ。
だが、の思いを聞いたわけではない。態度を見れば、少なくとも嫌われていないだろうことはわかる。むしろ脈は十分。
それはわかっているのだが。
思いの丈を計ることなどできはしないという事は重々承知の上で。それでもの思いがどれほどのものか知りたくはある。
部屋にあげてもらえる時点である程度は推し量れそうなものではあるが、そこは自覚の無いのこと。あまり深く考えずに招き入れている可能性も捨てきれない。
かと言って、何の前振りもなく真正面から尋ねる事など土方にはできそうにもない。
今しばらくは現状維持だろうか。
諦観入り混じる溜息を吐き出したところで、「きゃっ!」という悲鳴が耳に届いた。
誰の悲鳴かは考える必要も無い。この家にいるのは二人だけなのだから。
一体何事かと腰を上げて様子を窺いに行けば、は包丁を握り締めたまま左手の人差し指を銜えていた。その前には切りかけの羊羹。それだけで大体の状況は把握できる。
「あ、土方さん。聞こえちゃいましたか?」
「……それはいいが、包丁は下ろせ」
気配を感じたのか体ごと振り向いただったが、同時に包丁の切っ先も向けられる。立場上刃物は見慣れているし刀の切っ先を向けられることなど日常茶飯事に近いものがある。が、女から包丁を向けられるというのはぞっとしない。
言われて初めて気付いたとでも言うように、「すみません」とようやくは包丁を俎の上に置く。
口元から離れた左手。怪我の状態を見ようと何気なくの手首を掴んで持ち上げる。
先程まで自分で舐めていたのだから人差し指が濡れているのは当然の事。だがそれにも関わらず、すでに新たな血が傷口から滲み出てきている。これは相当深く切っているに違いない。
「絆創膏はあるのか?」と問いかけながら、血を止めることが先決とばかりに目の前の指を口に含む。
瞬間、がびくりを身体を震わせる。
この時になって、自分が一体何をしているのか、ようやく土方は気付いた。
治療の一環としての何気ない行動。だが結果的にその行為は、やけに扇情的なものだった。
だが、ここで唐突に離してしまえば、意識していることが明白である。
努めて余計な事を考えないように、口の中に広がる鉄の味に意識を集中させようとするものの、その努力を足蹴にするかのようには頬を上気させ、身体を震わせている。これでは意識するなという方が無理な話だ。
いっそのこと、努力など放棄してしまおうか。
そんな悪魔の囁きに耳を傾け、土方は銜えた人差し指に舌を這わせる。指に沿ってゆっくりと、辿らない箇所を残すまいとするかのように。
顔を俯け懸命に何かを堪えている様子のに、やはり彼女には言葉よりも行動の方が手っ取り早いと今更ながらに思う。
このまま押し倒してしまおうか。そして無自覚さの罪科というものに気付けばいい。
執拗なまでに傷口をねっとりと舐めながら、そんな物騒な事を思う。
が、限界は早々に来たようで。「や、やめてくださいっ!!」と耐えかねたようにが手を振り払った。
それほど強く掴んでいたわけでもない。あっさりと手放しはしたが、簡単に逃がすつもりはない。
射竦めるような視線を感じたのか、おずおずと真っ赤な顔が上げられる。上気した頬に、潤む瞳。唾液に濡れた人差し指は、やり場に困っているのか胸の前の中途半端な位置に浮いている。
視線の強さに驚いたのか、再び俯けられる顔。
「イヤか?」
「…………あの」
「イヤなら、気軽に男を家に連れ込むんじゃねェ」
できる事ならば、このまま抱いてしまいたい。その気持ちが無いと言えば嘘になる。
だが無理強いしてまで押し通すべき思いではない。を傷つける事は本意ではないのだから。
それにしてもこれは、付き合っている相手に対する言葉ではないだろう。の気持ちも気になるところではあるが、それ以前に本当に付き合っていると思っていいのかどうか、そこを尋ねてみたいところだ。返答を聞くのが恐ろしくてとても訊けたものではないが。
そのは。しばらく俯いていたかと思うと、唐突に顔を上げた。変わらず真っ赤に染め上げられた顔ではあれども、きゅっと引き締められた口元に真っ直ぐに向けられた瞳が、の強い意思を感じさせる。
ややあって開かれた口。そこから紡がれた言葉は。
「……私、好きでもない人を部屋にあげるような、ふしだらな女じゃありません!」
また古風な言い回しではある。「ふしだら」などとは。
最近では滅多に聞かれないであろう単語。おまけにどこかピントのずれた回答に、思わず噴出しそうになるものの、辛うじてそれは堪える。口にした本人が大真面目である以上、笑っては失礼だ。
それよりも、聞き逃してはならない言い回しではないか。
の言葉を頭の中で幾度も反芻し、意味を見出すごとに、らしくもなく頭に血が上りそうな感覚に襲われる。絆創膏でも取りに行くつもりなのか台所を出ようとするにその様を見られなかったのは幸運だったかもしれない。
また段差に蹴躓いたのか。一瞬よろめいたものの、転ぶことなく出て行ったその背中を目で追いながら。
戻ってきたらどうしてやろうか。
今し方の言葉の真意を本人の口から言わせてみようか。それとも口に出す間も無く抱きしめて口吻けてしまおうか。
どちらにしてもは慌てふためくだろうが、それを楽しむ程度の悪戯心は許されるべきだ。
ピーッと甲高い音が、火にかけられていた薬缶の中身が沸騰した事を伝える。
その火を止め、ついでに視界に入った切りかけの羊羹に、このまま放置して悪くしてしまうのは少し勿体無いかと思うものの。
今はそれよりものことが重要だ。
廊下をゆっくりと歩む足音。戻ってきたに一番にすべき事は何か。それを決定して土方は、戻ってきたにゆっくりと向き直った。
<終>
えらく中途半端なところで終わった感もありますが…
10万HIT記念リクで、柊香鈴様より「「一瞬を重ねて」の続き」との事だったのですが……
スミマセン。エロもギャグもありません。なんかもうグダグダ感満載です。
シリーズ(?)なのに書くたびに性格が変わってる気がします。もう本当グダグダ。
それより何より、もう14万HITしてることに自分のダメさ加減を感じました。あう。
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