それは大禍時―――起こるのは、果たして禍か。
 
 
 
それは逢魔が時―――遭遇するのは、果たして魔か。
 
 
 
それは誰そ彼時―――誰何するのは、果たして見知らぬ他人か。
 
 
 
 
 
 
エロティカ・セブン
 
 
 
 
 
 
どことも知れぬ建物の中。
決して広くはない室内に漂うは、情欲の残り香。
むせ返るようなその空気。
しかしそれは、決して甘ったるい類のものではなく。
獣のように、ただただ無心に貪り合った男女の、純然たる欲情の香り。
 
 
空気が、揺れる。
 
 
一つの影が、身を起こす。
 
 
暗闇の中、白い裸体が浮かび上がる。
 
 
引き締まり、均整の取れたプロポーションを誇るその身体。
だが、窓から差し込む月明かりに照らされ、不似合いなほどに不健康な青白さを身に纏っている。
惜しげもなく晒されたその身体は、しかしやがて闇の中へと消えた。
―――漆黒を、身に纏ったのだ。
闇よりも黒き洋装を着こなし、人影はすらりと立ち上がる。
黒く艶やかな髪をかき上げると、そのまま闇に溶け込みかけ―――
 
 

 
 
だが、完全に溶け込んでしまう寸前、闇の中から声がかけられた。
立ち止まる人影。
と呼ばれたその人物は、ゆっくりと無言で振り返る。
闇の中、月明かりに照らされて浮かび上がる白い顔。
その身体と同じく整った顔立ちには、怪訝な表情が浮かべられていた。
射すくめるような視線の先には、闇。闇の色をした、人影。
暗がりに慣れている彼女の目には、たとえ闇に溶け込んでいようとも、相手の表情が窺えた。
何もかもを皮肉げに見下す、その目を。その表情を。
 
 
「落ち着きの無ェ奴だなァ? もう行くのか?」
 
「……アンタが落ち着きすぎでしょう。高杉晋助」
 
 
前髪をかき上げると、は戸口に軽く背を預ける。
腰に差された刀。
無意識に手をやれば、馴染んだ感触が掌に伝わる。
もはや自分の身体の一部分と言っても差し支えない、人を殺すためのモノ。
手持ち無沙汰にその柄を弄び、は薄い笑みを浮かべた。
 
 
「私は、真選組の人間よ? そんなに落ち着いて、殺されたいの?」
 
「なら、その真選組の女が、どうして俺に抱かれる?」
 
 
片や、幕府直属の警察機構である真選組の隊士。片や、指名手配された攘夷志士。
本来であれば相容れない者同士。
冷たく張り詰められた空気の中、互いに視線を逸らすことなく見つめ合う。
だが、そこに甘い雰囲気など欠片も存在しえない。
むしろ、互いに睨みつける、そんな視線を絡ませ合う。
 
 
「愛してるから、とでも言ってほしい?」
 
「最高に嘘くさい台詞だな。テメェが口にすると」
 
 
挑むように口の端を上げると、それを正面から受けて立つ高杉と。
切れそうなほどに研ぎ澄まされた神経に、隙など無い。
隙など見せた次の瞬間には、きっと相手につけこまれるのだろう。
一分の隙すら見せぬ二人には、情事の余韻など、もはやどこにも存在しない。
そのようなものは、最初から存在していなかったのかもしれないが。
 
 
「それなら、逆に質問。アンタこそ、どうして私を抱きたがるのかしら?」
 
「決まってんだろ。惚れたからだ」
 
 
途端、の口元が、艶やかな笑みを形作る。
高杉の言葉に目を細め、明らかに馬鹿にしきったかのような表情だというのに。
しかしそれは、どこまでも妖艶な笑み。
娼婦よりも淫らに。詐欺師よりも性質が悪く。
 
 
「もっとマシな嘘ついたら?」
 
「ククッ……違いねェな」
 
 
もちろん、この程度のことで高杉が気分を害することもない。
どころか、心底からおかしそうな顔をする。
全てを皮肉げに見下した、その表情のまま。
 
そして二人交わす視線。
互いの瞳の内に、何を見るのか。
 
 
―――それは、虚飾に彩られた真実か。
 
 
不意にが、背を起こした。
すらりと背を伸ばし、軽く頭を振る。
微かにでも染み付いた情欲の残り香を、振り払うかのように。
そして現れたのは、冷酷な表情。
娼婦でも、女ですらない。それは真選組隊士としての、顔。
どこまでも冷静で、どこまでも酷薄な。獲物を追い求める、獣の顔。
その顔が、実のところ高杉は、嫌いではない。
ゾクリと背筋を駆け上るのは、獲物とされることへの恐怖か。目の前の獣を服従させたい欲情か。
どちらにせよ、それは次の機会に持ち越される感情だ。
そんな高杉の心情を読んだかのように、は口の端を上げる。
 
 
「次があると、思っているの?」
 
「俺が俺である限り、テメェがテメェである限りは、な」
 
 
それは予測でも、確信ですらない。純然とした事実であるかのように、高杉は口にする。
もまた否定するつもりは無いのか、特に反論することもなかった。
ただ、可笑しそうに笑みを深める。
そして。
その笑みだけを残して、は闇の中へと消えていった。
後には、月明かりと、実に可笑しそうに笑う高杉のみ―――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それは、宵闇迫る黄昏の刻。
この時刻でも人が途絶えることの無い江戸の街で、奇跡的にも人気の無い、路地裏。
そこで、まるでそれが儀式であるかのように対峙する、二つの影。
 

「神妙にしなさい、高杉晋助」
 
―――よォ、。久しぶりだなァ?」

 
手には、真剣を。
 
 
口元には、皮肉な笑みを。
 
 
その目には、狂気の光を。
 
 
そして、空気が揺れる。
次の瞬間には、硬い音と共に刃を交える二人。
鍔迫り合いを、命のやり取りをしながら、それでも二人の口元から笑みが消えることは無い。
むしろそれは、ますます深いものへと変わる。
 
 
―――今日もいい女だなァ? 抱かせろよ」
 
「生きて逃げられたらね」
 
 
の言葉を合図に、一瞬、互いの刀が離れる。
だが、それこそ一瞬。
次の瞬間には、始まる斬撃の応酬。
そこには一片の遠慮も躊躇も無い。
存在するのは、獣としての本能。相手を喰らい尽くし支配しようとする、本能のみ。 
 
 
 
互いに、甘い睦言など求めはしない。
瞳の奥に揺れる、情欲の炎。
見つけてしまったその果てにあるものは―――真面と狂気の、世界。



<終>



タイトルそのまんま。BGMはサザンの「エロティカ・セブン」です。
なんか無性に、こんなのが書きたくなったのです。
何が書きたかったかって……まぁ、エロティカセブンですよ(何)