約束事
「サン。銀サンは大変なことになってしまいました」
「は?」
いつものように、唐突に家にやってきた銀時。
それは驚かないにしても、挨拶も抜きのその言葉には、首を傾げざるをえない。
いきなり『大変なこと』と言われても。
家賃が払えなくて、とうとうお登勢さんに追い出されたとか。
仕事が無くて、とうとう食費も出なくなったとか。
いくつか頭の中で挙げてみたが、一般的には大変なことであっても、銀時にしてみればそこまで深刻になることでもないような気がする。
割と酷いことを考えるであったが、だからこそ心配になる。
その銀時をここまで深刻にさせた『大変なこと』とは、一体何事なのか。
「どうしたの? 何があったの、銀さん?」
不安な表情を見せるに、銀時もまた真剣な表情を見せる。
そして。
「銀サンの大事なとこが、腫れちゃったんですけど」
「帰れ変態」
真剣な表情のまま股間を押さえた銀時に、は冷たく言い放った。
本気で心配した分、余計に馬鹿馬鹿しい。
「病気でもうつされたんでしょう、この浮気男」
「アレ? ヤキモチですか? 心配すんな。最近はと以外はやってねーから」
「じゃあ、汚い手で触ったんだね」
「だって触ってんじゃん。自分の手が汚いってわけ?」
「汚いのはこの手! この手でしょう!!?」
カチンときたは、銀時の両手を取ると、乱暴にその目の前につきつける。
だが、その瞬間。銀時が微かに眉根を寄せたのに、気付かないではなかった。
銀時との付き合いは、長いと言うほどではなくとも、決して短くもない。
僅かな表情の変化でも読み取れる自信は、それなりにある。
それに、いくら乱暴にその手を取ったとはいえ、所詮は女の力。この程度の力で銀時が苦痛に思うわけもないのだ―――普通ならば。
「銀さん……また、怪我したんじゃないの……?」
「悪ィ。用事思い出したわ、俺」
真顔で迫るに、これはまずいとばかりに、銀時は撤退の意思表示をする。
が、それで大人しく帰すわけがない。
は、銀時の手を掴んだまま、にっこりと、怖いほどの笑みを浮かべた。
「銀さん。脱がさせてくれたら、腫れたところも舐めて治してあげるけど?」
「え、マジ!?」
うっかり喜んでその場に立ち止まってしまったことを後悔しても、後の祭り。
「冗談に決まってるでしょう」と冷たく言い放つ頃には、は銀時の服に手をかけていた。
そして。
予想通りと言うか。
銀時の左肩に巻かれた包帯を目にしたは、これ見よがしに溜息をついた。
次いで非難の目を向けるのその視線から逃げるように、銀時は明後日の方向を見る。
「……銀さん」
「いやぁ、今日はよく晴れたなぁ」
「……また怪我したの」
「こんな日はアレだよ、アレ。ジャンプ読みながら昼寝すんのが一番じゃねェ?」
「……しかも、また左腕」
「それとも、パフェでも食いに行くか? 今日は俺が奢ってやるよ」
「……聞いてる、銀さん?」
「俺としては、その後ラブホへ直行ってコースで行きたいんだけど?」
「……舐めてほしくないんだ」
「舐めてほしいです」
あっさりとに向き直った銀時に、は再度溜息をつく。
都合のいい事しか聞こうとしない銀時の耳は、一体どのような構造をしているのか。
の顔に浮かぶのは、呆れが半分。残り半分は―――
「―――そんな顔されるから、言いたくなかったんだよ」
「……だったら、最初から怪我なんかしないでよ」
残り半分、傷ついた表情。
そんなに、対する銀時は困りきった表情を浮かべる。
銀時が怪我をすると、何故かの方が傷つくのだ。
それはそれで、それだけに想われているのだという証拠なのかもしれないが。
しかし、それを素直に喜べるほどに、銀時は能天気ではない。
想われている証拠とは言っても、そうやってを傷つけているということに変わりはないのだ。
こうなってしまった以上、今の銀時にできることは、せいぜいを宥めることくらいしかない。
右腕でを抱き寄せると、子供をあやすようにその頭を軽く叩く。
「この怪我……この間のエイリアンと、関係あるの?」
「あ? なんでお前ソレ―――」
「テレビ。出てたじゃない。定春に乗って」
されるがまま、銀時に身を任せているの問いに、「あー……」と何とか誤魔化そうと言葉を探したものの、その程度で誤魔化せるものでもない。
「……もう怪我はしないって、約束してくれたのに」
「アレだな。性分なんだよ、もう」
そんな言い訳をされたところで、拗ねたようなの機嫌が戻るわけでもない。
頭を撫でてやりながら、さてどうすべきかと、銀時は思案に暮れる。
大人しく抱かれているあたり、愛想を尽かされたなどという心配だけはしないでもすむが。
結局、これといった解決策が思いつくわけでもなく。
かと言って、言い訳をするでもなく。
銀時は、ただただ、をあやすように頭を撫でてやる。
互いに口も開かず、時間だけが流れていく。
そんな中、がぽつりと、言葉を落とすように呟いた。
「―――わかっては、いるんだけど」
「ん?」
「そういう性分の銀さんだから、好きになったんだよね。私は」
「ハイハイハイ。さん、今の言葉、俺の顔を見てはっきり言おう。な? 頼むから、もう一回言ってくんない?」
途端、手を止めて、銀時はの顔を覗き込む。
いかにも良からぬことを考えていそうな表情に、は膨れたまま、銀時の額をぺちんと叩いた。
確かに、そういう性分―――何だかんだと他人のために動いてしまう、自分の信念を曲げようとしない銀時のことは好きだが、こういう銀時は別なのだ。
「……さーん? 痛いんですけど?」
「痛くないでしょう、これくらい」
いつの間にか、の身体を抱きすくめてその顔を覗き込んでくる銀時。
何やら癪に障ったは、絶対に銀時の顔を見ようとはしない。
が、どうせ逃げることもできないのだ。
身体も―――そして、この想いも。
「―――もう怪我しないって、約束できる?」
無理だろう、とはわかっていても、やはり口には出てしまう。
約束は破るためにある、などと言う人間もいるが、この約束にしたところで、まるで意味の無いことはにもわかっている。
それでも銀時は、今までは軽く頷いていたものだが。
しかし今回に限っては、珍しくも返事を躊躇った。
「あー……無理っぽい」
いつもとは違うその言葉に、思わずは顔を向ける。
すると目の前には、予想していたのとは違う、いつになく真顔の銀時がいた。
が目を瞬かせていると「悪ィ。無理だわ、多分」と、再度言う。
その言葉は、決して軽々しいものではなく。だからこそそれだけ、銀時も色々と考えてくれているのだと、わかる。
ふと、は何とはなしに嬉しくなる。それだけ、銀時が自分と真剣に向き合ってくれているということなのだから。
「だよね……それなら、隠さないでくれる? 怪我したら、正直に言ってくれる?」
「……いいのか、それで?」
今度は、銀時が目を瞬かせる番であった。
「それなら約束できるけどよ」と言う銀時に、は苦笑してみせる。
「怪我しないって約束してもらって、それで下手に隠されるよりは、よっぽど安心できるから」
それじゃあ、約束だからね。と。
ようやく笑みを見せたは、銀時の頬に口付けた。
再び、目を瞬かせる銀時。
だが、それも一瞬のこと。
頬をうっすらと染めるに、にやりと笑ってみせると、今度は銀時からの頬に口付ける。
「んじゃ、約束守るご褒美に、ちょうだい。前倒しで」
「はぁ!? ―――って、どうして脱ぐの!!?」
「イヤ、せっかくのからのお誘いだし」
「誘ってない! 誘ってないから!!」
抵抗してみるものの、銀時はあっさりとを押さえ込んでしまう。
左腕が使えないはずなのに、どうして勝てないのかと、は不思議でならない。
そこが男と女の差なのかもしれないが。
何にせよ、力で勝てないなら、抵抗できるのは、もはや口しか残っていないわけで。
「って言うか腫れてるんでしょう!!?」
「舐めて治してくれるって言ったじゃん。自分の言葉には責任を持て。な、?」
「言ったけど、冗談だとも言った!!」
「サン。あんまり暴れると、銀サンの怪我を悪化させちゃいますよー?」
「悪化してしまえ、このバカ―――っ!!?」
とはいえ、その口も、塞がれてしまえば役には立たない。
結局、されるがままになってしまうにできることは、ただ一つ。
言葉とは逆に、銀時の左腕の傷を気遣うことだけ―――
<終>
7巻見て、思ったんですよ。
銀さん、腕にしろ肩にしろ、左側ばかり怪我してないですか?
空知先生の無意識の産物か、それともこれが何かの布石だとしたら……んなわけないですよね。多分。
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